赤錆の羽根を打ち砕け 8 


「・・・ゲオルゲは、何だか自分を否定してたように見えた。何かに縛られているかのような・・そんな気がした」

眉間に皺を寄せ愛華は思いつめるように口を開く。
結局何も聞けずじまいだ。それにゲオルゲが言っていた時間稼ぎとは一体なんなんだろうか。 上を見上げれば相変わらず崩れていく空。
その範囲は留まる事を知らずにどんどん闇を広げていた。
あの先には一体なにがあるのだろうか。ここの主が求めているものが、あるのだろうか。
突然パチパチと拍手がどこからか聞こえてきた。
その音に警戒し皆が後ろに下がると、ゲオルゲの倒れている後ろの階段から人影が見える。
降りてくるというより動いている、の方が合っているのかもしれない。
怪しげに揺れる紫の髪、毛先は吸い込まれそうなほどに黒く染まっている。そしてなにより目を引いたのが背中だった。
真紅に輝くそれは、正真正銘の翼だった。
意思を持っているかの様にゆらゆら舞うそれによって、この男は地に足を乗せておらず、思わず目を細めた。それとは対照的にシュガテールの口と目は大きく開かれる。その口はわなわなと震え言葉を失っている。


「兄・・さん?」

私の知っている兄さんは目の前にはいなかった。
よもや原形を留めていなかったのだから。
だけどこれが誰なのかくらい察しが付く。この紫色の長髪は、兄さんの特徴と言えるものだった。
その髪の毛先はあんなに黒く染まってしまい、頭には悪魔の様な角まで生えてしまっている。私の大好きな優しい笑顔を作っていた顔には鋭いキバが口から覗いていた。
何より背中の翼は、最後に兄さんの前から姿を消した時までは無かったハズだった。
初めて見るその真紅の翼に困惑を隠せず思わず手を伸ばしてしまう。
それをディアに止められると無言で首を横に振っていた。

「兄・・?僕はこの世界の王です。それより楽しいものを見せてもらいました。これが族に言う友情というものなのでしょう?見ていて実に感動しましたよ」

泣く真似をしばらくした後、ニヤリと笑いゲオルゲの横に立った。
鋭い目でまるで塊を見るかのような、少しの殺意も混ざっているかのように見つめるとそのゲオルゲの方足を持ってずるずると端っこに寄せる。扱いがまるで人間じゃない。

「所詮コマだったんですよ、この人形。役に立たないなぁ」

まぁ後で実験に有効活用してあげますよ。
そう言って血に染まったゲオルゲを無造作に放り投げた。 弾みあらぬ方向へ折れ曲がる体は見ていられず優太は思わず目を反らした。
同じ人間とは思えなかった。というより人間なのだろうか。
シュガが言うお兄さんというのは少なからずこの男なのだろう。
だが、人の枠から自ら足を踏み外さんとしている。悪魔のようなその顔は笑うたびに歪み。

「本当に覚えていないのだな。シュガテールの事を」

辛そうに顔を反らすシュガテールを見てディアは心が痛んだ。
唯一の肉親が自分の知っている姿とかけ離れていたら、誰でも傷つき心を痛めるだろう。それを目の当たりにし、おまけに自分の存在を記憶の端にさえ置いてもらえないシュガテールは辛いだろう。苦しいだろう。
それでも目の前の少女はただ一人の兄さんを信じ立ち向かおうとしている。
ゲオルゲ、お前には一生分からない感情だろうな。
コマ、ということはこの男の人形だった、ということなのだろう。人形として生きていこうと思った心境を知りたいもんだ。あたしは哀れだとは思わないし、人形なりの人生を楽しむ。
それはゲオルゲも一緒でその楽しみ方の考え方に少しのずれが生じてしまっただけのこと。
想像の範囲内ではあるが間違いなくゲオルゲは人生を楽しんでいた。この男の手のひらで遊ばれていることも知らずに。いや、もしかしたら知ってたのかもしれないな。アイツの考えることはとことん意味が分からないのだから。
その奥に触れたいと思う気持ちもあったが、知ってしまうとまた何かが出てくるのかと思うと恐怖感に苛まれた。
本当の真実は、誰一人と知らず隠されたままなのかもしれない。アイツがこの世にいない今、なにを求めても無駄だった。

「に、兄さん。なんで、なんでこんなこと・・!」

兄?と首を傾げあぁ、とまるで思い出したかのようにシュガテールを指差すとあの時のですか!と一人納得していた。

「前見たことがあるような気がしますよ?記憶の片隅に。あぁ、まだ消えていなかったんだね。
そんなのより、少し質問タイムとでもしません?まだ時間は残されているようですし、少し遊びましょうよ。君達の疑問に私がひたすら答える。君達にとっては得するでしょう?そして僕はとても楽しい。一石二鳥ですよ。それに人間を見るのはこれが初めてだ」

まるでシュガテールには興味はないと話をすぐ切り替えたこの男はこんどは私達を舐めまわすかのように見つめてきた。
いちいち人間という言い回しをしてくるのだから私達がどういう存在なのか知っているのだろう。
スカンは浮いていた足を地につける。有り得ない、有り得ないわ。と声を震わせシュガテールはヒギリに縋る。その手も微かに震えている。うーん、どのくらいでしょうか。そう言ってスカンは崩落し始めている空を見上げる。その顔は期待に胸を膨らませた小学生のように、明るい。
しょうがないから、僕の方から説明してあげましょうか。そう言ってほほ笑むスカンの顔は何かを企むかのように影が入っている。

「ようは復讐、とまで言うと大げさなんですかね?いや、少し苦しい思いをしてほしいだけなんですよ」

分からないだろうなぁ?と両腕を掲げ眉毛を少し下げる仕草をする。
馬鹿にしているかのような行為に無性に腹が立ち、この!と優太が叫び手を出すも、視線も向けられぬまま避けられてしまった。やはりこんなどでかい城を作り上げる主、持っている力は自分たちとは桁違いだ。
うかつには近づけなかった。

「この世界がゲームの世界だって事はもう皆さん知っているのでしょう?だったら、理解するのには難しくない話です。世の中どうしても負け組、勝ち組が出来てしまう。それは当たり前の事なんですよ。そうじゃないとバランスが保てなくなって崩落しますからね。犠牲というものが必要なんです。ただ、その犠牲になるべくものが勝ちを取り、勝ちを取るものが負けてしまった」

矛盾していると思いませんか?とスカンは首を傾げる。
原理はなんとなくだが理解できる。競争時代だからお互い蹴散らしあって、いかに自分が一番上へと上り詰めることができるのかを考えなければならない時代。
それは見ていて醜いものだが、生きるためには必要な行動だった。
なんだかんだで一番可愛いのは自分で、自分さえ上手くいけばそれでいい。
人間というのはそういう生き物だ。
それは今まで否定できない事をしてきたまでの事実であって、悲しい現実だった。

「このゲームが発売される時に、もう一つのゲームが発売されたんですよ。もちろんどちらかが売れるかを争い競争しあい、そして勝負は決まった筈だったんです。私たちの方は予約を沢山していただけていたのですし。
しかしそれを危険と察知してもう一方のゲームを作った人間は、ありもしない丁稚上げを世間に公表し、このゲームを廃盤にせざるをえない状況へと追い込んだ。
それは人間からしたらどうでもいい話のように思えますが、私達からしたらそれは死と同然なんです。誰にも知られずに、底深く眠る人生。僕はそんな人生耐えられない。だから、考えたんです」

ぎらついた目で一通り口を動かすとスカンはこの建物の端の方へと移動し壁にぺたりと自らの手をくっつける。兄がずっと計画していたことの裏にこんな事が隠されているだなんて思わなかった。
シュガテールは呆気にとられすっかり口を閉ざしてしまった。
そんな事兄から一切聞いたことがなかったシュガテールは目の前の男の言語を疑うが、嘘を言っているような気もしなかった。皆が黙って聞いている中、ヒギリはそうかと閃いた。
なぜこの兵器が作られたのか。スカンが一体何をしたいのか。その全てを理解した時、この世界を崩壊させている意図が掴めた。

「僕がこの世界を出て、人間界に行くんだ。そうすれば人間に苦しい思いをさせられるでしょう?でもその為には力が必要だったんです。だから僕は其処らへんの生命体を刈り上げて生命力を求めたんですよ。人間界への入り口を開けるための手段として、壊す、以外の最適な方法はないでしょうから。少々崩れるだけで、支障はありません。人口が半分くらい残れば十分です。」

少し喋りすぎたかな。疲れました。
そう言ってスカンは再び羽根を広げるとこっちに近付いてくる。
君達の生命力を足せば、最後の一発に最適かもしれませんね。
今こそ復讐の時です。
ニヤリと笑い一瞬ふわりと浮かびあがると瞬時に優太達の背後に周り鋭い爪で切り刻む。
その見えない動きにディアですら対処出来ずにやられるがままの状態になってしまっていた。

「くっ、兄さん!目を覚ましてよ!前はそんな事言ってなかったでしょ!?」

シュガテールが声を荒げるがお構いなしに攻撃は続く。
まったくはがたたずに、やられるがままの自分に腹が立ち優太は剣を構え集中し始める。
前教わった、忘れることのないこの技を、決める。
それに気づいたヒギリが止めなさい!と叫んでいるが、構っている余裕など優太にはなかった。俺がここでスカンに当てれば一発逆転になるかもしれない・・!一か八かの賭けだったが、やってみるしかなかった。
このままやられる皆を見ているわけにもいかない。一気に集中力を高め、目を開ける。スカンはすぐ目の前まで迫っていた。

「喰らえ!」

渾身の剣派を振りかざす。確実に当たっていたその攻撃は見事に空を切る。
さっきまではいたハズのスカンが、そこにはいなかったのだ。
攻撃は、失敗に終わってしまった。
一気に疲れがどっと優太の体を襲う。やばい、体が重くて思うように動かない。
そのふらつきの隙を狙ってスカンは優太の体を切り刻む。
深く入ったその刃は優太の体を、精神を削る。

「っ」


絶えられずに突き出した左手を、スカンの鋭利な爪が貫く。
生々しく繋がるそれを見つめれば見つめるほど脳は状況を穏やかに理解した。

「ぐあぁあああ・・・!!」

言葉を発する余裕も無いほど痛い。悲鳴を上げている。立ちあがれない。
ギリギリで見える範囲で自らの体から相当の血が外に流れているのが分かる。
ドクンドクンという心臓の音がやけに耳に響く。遠くでは愛華の悲鳴が聞こえた。
あぁ、ここで終わるのか・・?薄れる意識の中、今度は自分自身の爪が手のひらに食い込むほど握りしめた。こんな所で終わりたくない、俺はまだ、やらなきゃいけないころがたくさんあるんだ。
あまりの自体におかしくなってしまったシュガの兄さんを助けなきゃいけないし、戻る鍵だって探さなきゃならない。ゲオルゲもきちんと弔ってやらなくちゃ。
それから愛華に言わなきゃならないこともいっぱいあるんだ。俺は、俺は・・・
突然、背中が温かくなってきたような気がした。とうとう感覚も麻痺ってきたのだろうか。
苦笑をしていると上から微かに声が聞こえる。

「・・・・・だから、言ったでしょう」

そこには怒りにも、悲しみにも見えるヒギリの顔があった。
今まで見てきた中でもかなり大きい規模で治癒を進めている。
気持ち顔色が悪い。フラフラと片手で頭を押さえ時々唸り声をあげている。

「ひ、ヒギリ・・?無理、するなよ。そしたらお前が死んじまう・・」
「貴方が言える事じゃないでしょうに。いいから黙ってなさい。私の事は・・いいんです」

ヒギリの手から出る気が更に力を増し、自分の背中に当てると全体に広がる。
全くもって感覚がないのだが、恐らくもうほぼ全快だ。
ヒギリにただ感謝するしかなかった。
遠くで金属音が聞こえ首だけ動かすとディアとシュガテールと愛華三人が協力してスカンをおびき寄せているのが見える。自分一人の為に気遣ってくれる皆に涙が出そうなのを必死で堪える。
ここで泣いたら大なしだ。強くなると、決めたんだろう。
みるみる痛みが自分の体を蝕んでいるのが分かってきた頃、ヒギリの様子が急変した。
汗をかくその顔は青ざめ今にも倒れそうなほど、体を左右に揺らしている。

「お、おいヒギリ」

その優太の声と共にヒギリは勢いよく倒れ息絶え絶えに言葉を洩らす。
喉から必死に出すようなその声は、その姿は、見ているだけでも辛そうで思わず肩を支えるとその手を優しく払われてしまった。

「な、情けないですね。私にはこれほどの力しかないんです。元々持っている以上の力を求めてしまうと、身体が悲鳴をあげて言うことを聞いてくれやしない。これは少し、負担がかかる技なんです。」

あぁ、私の中にはもう力は残されていないようだ。
そう言ってヒギリは自らの両手を見つめた。
傷一つもついていないその手は頼りなく閉じられる。
どんな傷でも心臓が止まっていなければ自らの手で治すことが可能、そんな技を知ったのはつい最近の話だった。
色々調べていくうちに分かってきた事は、自分にも使える技だったということと、リスクを負う、ということだった。そう簡単にいくわけでもなく、この技は絶対的に治す変わりに自らの生命を削る。
自分の生命を相手に分ける、ということなのだろう。
分けるということはそれなりの負担が身体に掛かる。下手をすれば死ぬ。

ただいつものように調べごとをしていた時に知り、いつか使う時が来るのだろうと心構えをしておいたかいがあったのかもしれない。
たとえ自分の生命を削ろうとも、使命を果たす為に、いや今になったらそんなことはもうどうでもいいのかもしれない。ただ、自分の思うままに行動をしていたらいつの間にかこうなっただけだ。
少女を助けたい。日に日に強まる気持ちが私の心と身体を強くし、変えてくれた。
そして全ての鍵を握っている人間界の二人は未来を担う光だ。
こんな狭い箱の様な世界に閉じ込めておくわけにはいかない。今まで私が探していた鍵が、やっと見つかりそうなんだ。
そう、彼らは私達と違い、時の時間を進んでいるのだ。
「どうして・・」
そう呟き優太はゆらりと立ちあがる。
良かった。完治、とまではいかないけれども致命的な傷は塞ぐ事ができたようだ。
リスクが大きいぶん回復量も大きい。寧ろそうでなければ困る所なんだけれども。
ヒギリはフッとほほ笑むと休ませて下さい、と目を閉じた。
ただなんで、どうして、と悟ったかのようにひたすら立ちつくしている優太にヒギリは口を開く。この行動ですら重たくて、辛い。

「貴方には、今、やるべきことがあるでしょう」

そのヒギリの言葉にハッとし周りを見渡すと愛華とシュガテールはすでに疲れ果て倒れていた。
丁度ディアの倒れた所が視界に入り、今立っているのは自分一人だけだった。
皆も絶え絶えに、体中血を流して倒れている。
もう、壊滅的だ。愛華は自らの額から流れる血を手で拭い、そう頭の中で呟く。

一方スカンには塵一つない。その紫の髪が動く度に大きく揺れる。
返り血など一切ついていないその姿は余裕の笑みで羽根を揺らしそびえ立つ。
攻撃が当たってない、というのもあるのだろうがシュガテールは実の兄と戦えずに逃げるだけ、というのをずっと続けていた。それを察して私達は様子を伺いながらも戦っていたが、気が気でなかったシュガテールが真っ先にやられてしまった。
あそこで心配して駆け寄ったが為に隙が生じ、私はスカンに切りつけられた。
痛々しく切られた足の傷は見ていられないほどに膿が出来てしまっている。
優太は、優太は大丈夫なのだろうか。這いつくばりながらも優太の方へと顔を向けると、多少怪我を覆いながらも剣を構える優太の姿が見える。その後ろで倒れるヒギリはなぜか穏やかだ。
限界が来たのだろうか、さっきまで皆のサポートをして周っていたヒギリは顔色悪く弱々しく本を開いていたのを思い出す。

何より一番無理をしているのはヒギリなのだ。
口に出さないだけで色んなことを見ているヒギリは一番努力をしていたように思われた。
この結末はヤバいな、と優太は眉間に皺を寄せる。

下手をすれば皆ここで。

どうする、どうする・・・。考えてはいるものの時は止まることなく進む一方だ。最後のターゲットを見つけたかのようにスカンは首をコキコキ鳴らしながら近づいてくる。スカンの目は、初めから俺が倒れている絵しか浮かびあがっていないのだろう。

「くそ!」
そう叫んだとき、何かがスカンの足元に転がってくる。
その特徴的な形に優太はすぐ気づいた。
これはいつもシュガテールが大切に持ち歩いている、貰った懐中時計。
シュガテールとその時の兄さんが写っている、あの幸せそうな笑顔の写真。これはシュガテールが投げたものだった。うつ伏せになりながらも腕を伸ばしスカンを見上げている。ぴたりと止まるスカンの身体は石になったかのように固まり、目だけでその懐中時計を見つめる。

「兄さん、覚えているでしょ!それ、兄さんがくれたものなのよ?あの時兄さんが時間が分からないと不便だろう、ってくれた懐中時計!私ずっと大事に持ち歩いていたのよ?」

兄さん!声を裏返しながらも必死にスカンに問いかける。
元に戻ってほしい、どうか自分の声が届きますように。
兄さんの心に響かせるかのように大声でシュガテールは言葉を並べる。
その懐中時計を見た途端スカンが頭を抱え始めた。苦しそうに方足を地面につけ額に手を当てている。

「く・・・やめ・・!!」

スカンは暫く顔を歪めながらあらぬ方向にに怒鳴りかけていたが、終いには呻き声が聞こえなくなり何事もなかったかのように立ちあがった。
その手は懐中時計が握られている。
うつ伏せの状態で倒れているシュガテールの方へと足を進めるスカンを止めようと走りだした優太は、不意にはた、と足を止めた。
オーラが消えているのだ。
もはやあの威圧感のあるオーラは消えていて、今までのスカンではないような、そんな気がしてならなかった。シュガテールの前で足を止めるとその場にしゃがみこんだ。
覚悟を決めて目をぎゅっとつむるシュガテールの頭の上に手を乗せると、スカンは優しくほほ笑んでいた。

「・・・・・・・兄・・さん?兄さんなのね・・?」

シュガテールの声が掠れ掠れに響く。
その声と共に愛華は耳をシュガテールの方へと集中させる。
動く気力はもう残っていないようだ。 ほほ笑むスカンはごめんよ、ごめん。こんな風にしてしまって、と頭に乗せていた手を下に少し降ろしシュガテールの頬へと触れる。愛情で満ちたぬくもりに今にも涙が溢れ出てきそうな瞳を見てスカンは眉を下げる。
本当に目の前にいるのは私の知っている兄さんなのだろうか。
ずっと会いたい、会いたいとばかり気持ちが募ってたから、実際会ってしまうと頭がついていかない。私に頬笑みかけているのは紛れもないあの兄さんだった。
姿は変わってしまっても、兄さんの笑顔を忘れられるハズがない。目の前が滲み上手く言葉を発せない。口が震えて、喉が渇いて、上手く息が吸えない。

「僕の気の緩みがこのような事態を起こしてしまった。この世界はこのままいくと確実に崩壊してしまうんだ。」

国を守れない王とはなんて情けないんだろう。
そう言って寂しく笑うと懐中時計をシュガテールに渡す。
僕にはもう、残された時間がないんだ。こめかみに手を当て顔を歪ませると、愛おしそうにシュガテールの手を握りスカンは口を開く。必死に自らを蝕んでいる黒い物を押さえるがために時々口を噛みしめている。

「いいかい、シュガテール。良く聞くんだ。一つだけ、一つだけこの今の状況で世界を救う方法があるんだ。」

ごくりと優太の生唾を飲む音が聞こえる。
遠くで世界が崩壊していく音を耳に聞きいれながら、シュガテールは何?とと問う。
兄さんの言うことは絶対で、信じられる。
それは前までの兄さんを見てくれば誰でも思うことだ。そう、そう思っていた。次の瞬間その言葉を聞いた時、シュガテールの頭は考えることを止めた。
目の前が真っ白になり、広がるのは無。一番恐れていた事なのかもしれない。

「僕を、殺すんだ」

しばらく続いた無言の時間は、大きな揺れによって壊された。
どうやらこの建物も崩れ落ちる様だ。
そこで我に返ったシュガテールは溜めていた涙を一気に流し声を荒げる。
実の肉親、いつもその背中を追いかけて、兄さんの事を思って、ここまで生きてきた。でも

「殺せるわけないわよ!!なんで、なんで自分が死ぬ選択肢しか選べないの!?他にもっとなにかあるでしょ!ねぇ、あるんでしょ!?」

もういやよ、と泣きじゃくるシュガテールを抱きしめ、スカンは一言ずつ、丁寧に、伝わるように、記憶の片隅にでも残るように。
震える肩をなるべく落ち着かせるように背中を撫でる。
その行為は小さい頃から泣き虫だった私に対しての安心させる為の行動だった。
あぁ、何もかもが懐かしいな。そう思うと一層涙が止まらない。

「僕はこの世界の王として、そして何よりシュガテール、お前の兄として頼もしい男になりたかった。お前はいつでも僕の味方をしてくれた。こんな僕を誇りに思ってくれた。それが嬉しくて、嬉しくて。だから頑張ろうと思ったんだ。いや、頑張れた。この世界が危機に襲われることは知ってたんだ。そしてそれが僕のせいで崩壊することも。全ては定められていたことだ。でも、僕はそんな決められた道を進むなんて許さない。許されないんだ。深い、闇に落ちている時にふと思った。僕が消滅すれば定められていた崩落は止まり、全てが救われる、と。僕は信じていたんだ、シュガテールがきっと僕を導いてくれるって。」

そこで一つ深呼吸をし、ゆっくりと、スカンは続ける。

「このまま崩壊していく世界を見届けるほど僕も外道じゃない。最後くらい、王としての定めを果たさせてくれないか、シュガテール。お前が誇りに思ってくれた王として、頼もしい兄として、もっともらしい最後を飾りたいんだ。」

まっすぐな、迷いのない目に縛られ、シュガテールは心を決めた。
兄さんが正しいと思った事なら、それは正しいのだろう。
私が兄さんが大好きで、尊敬して、誇りに思っている。だからこそ兄さんの背中を押してあげなければならない。悲しい、寂しい。一気に虚しさが自分の心を占領するが、妹として、これから強く生きていかなければならない。
握りしめられていた手を一瞬強く握り返すとその手を離し銃を構える。迷う事は、もうやめたんだ。

「兄さん、本当に、本当にありがとう」

まだ霞む目をこすりなるべく笑顔に、明るく振る舞う。
多分今自分は不器用な顔になっているのだろう。
構わない、気持ちはちゃんと兄さんに伝わっているのだろうから。フッと優しい目で笑うと再び頭を抱え呻きだす。限界が訪れたようだ。一気に鋭い目に変わった顔は怒りでキバがむき出し状態になっていた。
構えていた銃を銃口ごと引っ掴むとそのままシュガテールごと吹き飛ばす。
壁に身体が押し込まれ、胃から何かが出てくる衝動に駆られた。痛すぎて言葉が出ない。

「余計な事をしやがって!・・・いいですか、君達は黙って見ていればいいんですよ。なにも口に出さなければ貴重な生命力として兵器に使ってやる、と言っているんです。あぁ、余計な時間を食ってしまいました。もう崩れかけてるじゃないですか!貴方もさっさと死んで下さい。次のエネルギーを早く溜めなければならないので」

淡々と喋るこの男はもはやスカンではなかった。
復讐に頭をやられた殺人犯とさほど変わらないその姿は見ていて哀れにすら思えてくる。
心の闇は人を変貌させる。自らの意思とは関係なくその範囲は広まっていき、取り返しのつかない所まで落ちてしまい収集がつかなくなってしまう。スカンは運命を変えたいが余り焦ってしまった所があったのかもしれない。
一人で抱える不安は、自分が思っている以上に心にダメージを受けるものだ。それに気づかす道を踏み外したことで、全ては変わってしまった。
本当に最後の一人になってしまった優太はじりじりと距離を縮めてくるスカンに一定の距離を保とうと後退する。
その行動は背中に壁がくっついてしまった今や意味のない行動だったと気づき歯ぎしりする。

「復讐してどうするんだよ、そんなことしたって何も変わらないだろ!」
「貴様に・・・・・貴様に僕の何が分かる!」

崩れる範囲が広くなり、とうとうこの空間も歪み始めた。
ただ崩れていくのではなく、ブロック型になって消滅する。
奥の方は闇に吸い込まれ黒く染まっていた。
なにもない世界。色も、音も。温もりも。それは人間にとって一番の恐怖なんじゃないだろうか。
いい加減にちょこまかウザイですね、とスカンは言葉を洩らし瞬時に優太の横に滑り込むと脇腹を深く切り刻まれる。抉り出される感覚が気持ち悪く吐血する。
何度目か分からない自分の見る血は赤黒くどろっとしていた。攻撃は止むことなく優太の身体からはこれでもかと言うくらいの血が流れている。スカンはそれを楽しむかのように笑みを浮かべて下唇を舐める。すでに精神で立っているようなものだった。肉体が、悲鳴をあげている。

「最後です、貴方も僕の力となってこの閉じ込められた世界から出るんだ。人間を復讐する人間、なんて哀れなんでしょうか。少し楽しみだなぁ」

次の瞬間が、俺の最後だ。苦しい、辛い、虚しい。
色んな感情が混ざり合って心も身体もぐちゃぐちゃだ。
奥で頼りなく倒れる愛華を見つめる。意識はあるようで微かに開けられた目からは涙が零れ落ちている。今愛華は何を思っているんだろう。頼りない俺を笑ってるかな、それとも最後を悲しんでいるのだろうか。今更気づく皆の視線は自分に集中していることが分かった。
託すように、最期を見守るように。

諦めたくなかった、諦めちゃ駄目なんだ。でも、それ以上に俺が出来ることはない。
もう、不可能だった。さようなら、という声と共に強い光がスカンの所から発される。
こういう時、ゲオルゲだったらどう思うんだろう。自身で命を絶ったあの男は。
目を細めながら、優太は聞こえるか聞こえないかくらいの掠れた声で、その名前を呼んだ。やけに懐かしい響きに、そしてまだ弱みを見せれる自分に、悲しくなった。身体が硬直する。
なぁ、ゲオルゲ。俺は世界を救えないのかな。俺は、俺は・・・

「助けてくれよ・・・ゲオルゲ・・!」

決して返ってこない相手に助けを求めてどうするんだろうか。
とっさに出た言葉が、浮かんだものが、ゲオルゲだった。
どうやら自分にとってゲオルゲは忘れられない存在なんだ、と改めて思った。
あの頃はただ純粋に楽しかった。
戻りたい、そう原理に逆らうような事を想いながら覚悟を決めて目をつむる。

「呼んだか?」

ついに幻聴までもが聞こえてきた。
自分が求めるあまりに耳までおかしくなってしまったようだ。
そしていつまでたっても痛みを感じない身体はもはや感覚もなくなってしまったのだろう。もう俺は死ぬんだな。そう思いながらゆっくりと目を開けると、有り得ない光景が広がっていた。強く目を擦る。幻覚を見ているのか、はたまた自分はもうこの世にはいないのか。
そっと触れてみる。久しぶりの人間の温もりがある。でもおかしだろ?コイツは、さっき、自分の首を切ってたんだぜ?何も言わずに目の前で倒れて、確かにこの世界から消えたハズなんだ。そうじゃないと、なんで、なんで腹に穴を開けたゲオルゲが目の前に立ってるんだ・・?なんでこっちを見てほほ笑んでるんだ?

驚愕に首をかしげることも出来ない優太の顔が可笑しいのか、ゲオルゲは笑ってゆっくり、そして穏やかに口を開く。

「言っただろう優太?お前が呼んだら、どこへだっていってやるってよ。」
「そ、そうじゃなくて、なんで生きてるんだ・・!」

一番の疑問だ。
なんで、俺の前に平然と立ってるんだ。
お前は甘いって言って、倒れたじゃないか。・・・ああ、でも確かに言っていた。
確かあれはゲオルゲが俺に技を教えてくれたあの日。
冗談まじりに紡がれた言葉は吐息と共に消えていったんだ。

あーそうか、そうだな。そう言ってゲオルゲはニカッと笑う。

「おっさんね、不死身なの。死なない、痛みも感じない、味も快楽だってわかんねぇ。」

ゲオルゲは自分の手のひらを見つめ、今どういう表情をしていいのかもよく分かんないんだよね、と下を俯く。自分から感覚、という機能を抜かれたその日から、感情を表現するのが難しくなった。
そういう時に便利なのが笑顔だった。どこでもヘラヘラ笑っていれば、大抵の問題は解決できた。でも、何故か今は上手く笑えない。顔が固まって動かない。おかしいな、なにかがおかしいぞ。自分の腹に手を当ててみる。
紅い染みを大きく作るそれは、痛々しく穴が空いている。客観的に、こりゃ凄い、と口を開き、久しぶりの感覚に表情を少し崩す。

「でもなぁ・・・・・何でだろうなぁ、痛ぇんだ。今ちょっとドジってやられた傷が痛くってよ」

死にたくないなって初めて思ったんだよなあ
その言葉は自分に言い聞かせるような感じでもあった。自分の手のひらにべっとりと付いた血を見つめ、おかしいよなぁ、とゲオルゲは笑う。声では笑っているのに、顔は泣いているかのように、虚しく影を差す。
なんにもおかしいことじゃない、そう考えるのは当たり前だ。そうなんだよな。
・・・・そうか、当たり前、か。

ごめんな、これで最後だ。
にっこり笑って優太の顔を見ると、ゲオルゲはその乾いた口を動かす。
震える手は、あと少し、優太の肩まで届かない。

「いいか、死ぬなよ。生きて、帰るんだ。俺たちはまた逢える。」

だから、勝て。
後ろに倒れ込みながらゲオルゲは最後の力を振り絞るように、口を噛みしめ、でも、終始笑顔だった。苦しいときでも笑顔だったゲオルゲの倒れた姿はまるで眠ってるかのようにやすらかだった。
いつのまにか自分の心に入り込んで色々荒らして、カッコよく決めてきたかと思うとあの顔だ。忘れられる訳がなかった。
ゲオルゲの命と引き換えに助けられたこの命は自分の中で一定のリズムを刻んでいる。
胸に手をあて、優太は決心する。
何度皆に力を貰っただろう。
何度自分に誓いをたてただろう。

数えきれないほどの後悔と傷の後が、自分を強くし、力を与えてくれた。ゲオルゲは、その要といっても過言ではないくらい自分の人生にとってのキーとなった。このゲオルゲがくれた命を、本来のスカンの言葉を胸に優太は前を見据える。

「最後の足掻きって?無駄ですよ、貴方達は私には逆らえない。なんだってこの僕はこの国の王様なんですから」

再び強い光がスカンの手のひらの中で広がり始める。
その背後で何かが動いたかと思うと、ちいさななにかが投げ出された。
その小さな物体はスカンの手のひらよりも強い光を放ち、スカンの真上でクルクルと回る。秒針が有り得ないスピードで回りまるで時を遡っているかのような、そんな感覚に陥った。
懐中時計から放つ光はスカンにとっては毒になるのだろうか、目を押さえ苦しみだした。

「優太、今よ!兄さんはあらかじめこの時計に細工をしていたわ!」

静かに抱きしめられたあの時、こっそりと兄さんから教えてもらった事実。
この時計の細工を知った時は少しビックリした。
自分の毒になるような物を自分で仕込むのは、兄さんらしいな、と思った。 それは兄さんしか知らない苦手なもの、兄さんにしか出来ないことだった。
悪魔は光を嫌う。でもただの光じゃない、聖なる光だ。
一時期光の研究をしていた事をシュガテールは思い出していた。
兄さん自体が光を嫌う訳じゃない、この目の前で苦しんでいる、兄さんが光を嫌う。
回る秒針はまるでスカンを吸い込むかのようにスピードを増していく。優太は今までの集中力全てを剣に込めるよう目を閉じる。


「今までのゲオルゲやシュガテールの兄からの言葉を思い出すんだ」
ディアは足を引きずりながら弓を引く。

「集中する時は、相手の事を思うんですよ」
額に手を乗せヒギリは後ろに立つ。

「話しかけてたら、集中できないじゃないの」
よろめきながらもシュガテールは銃を構える。

大丈夫、大丈夫だよ。そう言うかのように愛華はぎゅっと一瞬優太の手を握る。
どうか自分の力が優太に届きますように。皆の思いが、届きますように。
私には祈ることしかできないけれど、今の優太にだったら出来る気がした。

信じてる、私は、優太の事を信じてるから。

目を閉じていても伝わる、温もり。
いつの間にか自分の周りにはこうも温めてくれる存在ができていた。
今までいなかった訳じゃないけれど、背中を預けれる存在はいなかったのかもしれない。
嬉しくて嬉しくて優太は身震いする。

一点に狙いを定め、大きく深呼吸するとその剣を振りかざす。
ゲオルゲが教えてくれたこの技で、シュガの兄さんを救う。
もはや崩れた瓦礫の下に埋まっているだろうゲオルゲの行方は見えなかったけども、近くにいるような気がしてならなかった。
死んでいったゲオルゲの為に、そしてこんな自分を受け入れてくれたこの世界に、皆に。

足に力を入れ優太は一気に飛び込む。

狙いを写す剣は光沢を放ち反射し、纏う気がメラメラと燃える。 未だに頭を抱え喚き苦しんでいるスカンは細めでこっちを睨む。

「や、やめろ!僕の、僕の計画が・・・!!」
「これで、苦しみともさよならだ、スカン」

綺麗に刺さる剣はそのまま身体に吸い込まれ跡形もなく散っていく。
紅い微粒子が舞い二人を包む。
スカンの背中に赤々しく存在感を残していた羽根はその光を失い、黒く染まりながらその範囲を広げていく。パラパラと力尽きたように、そして何もかもが崩れていくかのように羽根は下に落ちていく。
スカンの足元が黒くなっていく。
今まで崩れていた世界は時間がまるで戻ったかのように違うブロックで修復されている途中だった。まるでパズルかのように次々とはまる。
だがこの建物だけは揺れが収まる気がしなかった。バランスを崩してしまったこの兵器はこのまま崩壊する気なのだろう。
このまま行くと確実にこの城は全部崩れ自分らが瓦礫の下に埋もれるのが目に見えている。必死に其処らへんの出っ張りを掴み耐えているとスカンは胸を押さえながらずるずると足を引きずる。

「・・・ありがとう。どうやら、僕は僕のまま、死ねるみたい、だ」

僕の闇は消え去ったんだな。そう口を開くとスカンは後ろによろめく。崩れてその先がなくなってしまっている崖までゆっくりと後退すると、晴れやかな笑みで、スカンは持っていた剣をその場に突き立てる。もう一歩歩を進めば恐らくもう帰ってこれないだろう。

「ありがとう。本当に、貴方達で良かった。寧ろ、貴方達じゃなかったら、この世界は救えなかっただろう。僕は、ここで消える。でもこれからこの国を守るべく新たな王が誕生する。そしてまたこの国は未来を紡ぐんだ。知られなくてもいい、寧ろ知られない事の方がいいのかもしれないな。欲を言うと、この国の良さを知って欲しかったかな。僕はこの世界が平和になっていく様をこっそり見守っていこうかと思う。
・・・―――巻き込んで、悪かったよ。」

シュガテールの事を、よろしく頼む。
自分の状況をそっちのけで妹の心配をするその姿は一人の兄にすぎなかった。フラッと後ろに最後の一歩を踏み出す。
重力に従って落ちていく身体は鉛のように重い。
漸く全てが終わるんだなぁ、そう思って目をつむるが、一向に下に落ちる感覚がなく、寧ろ引っ張られている感覚に再び目を開ける。もう二度と見ることはないだろうと思っていた光がまた自分を照らす。一人の人間が、自分の手を引いていた。

「・・君はなにを」
「ぬぎっ・・・・!!なんっか、このままお前がが落ちていくのを、見ていられなくてっ、だけど・・!」

苦しそうに顔を歪めるこの人間は、心が優しい人間なのだろう。あぁ、そうだ。教えていなかったかな。後ろから顔を覗かせもう一人の人間が一層強く手を引く。何か叫んでいるような気もするが、音が何も聞こえない。感覚すらなくなってきた。意識が朦朧とする中で僕は口を開いた。きちんと言葉になっているだろうか。なっていなくても、もう他の住民も、シュガテールも、知っているだろうから。

「時を戻したんだ、あの頃に。帰れるんだ、君達は」

うつらうつらと並べられた言葉に愛華と優太は首を傾げる。
遠い目で口を閉ざしたスカンはフッと頬笑み二人が持っていた手を強く振り離す。
しまった、そう思った時にはもう自らの手に握られていたスカンの手は消えていた。
闇の底へと、見えない所へと落ちていく。最後まで、笑顔で。ありがとう、そう言って落ちて行ったスカンに愛華は涙を浮かべる。スカンにとってはそれが救済であったのだろうが、どうしても納得出来なかった。
今でも他の方法があったんじゃないかって、思い返してしまう。愛華は無駄な行為だと思って頭を振る。スカンが、決めた事だ。


「時を戻したって、スカンが」

スカンが消えていった崖の底を見つめ優太は呟く。
何事にも涙を浮かべていた優太が、ただただ悲しそうに顔を伏せる。
強くなったじゃんか、変われたじゃんか。悔しいほどに、優太は私の知っている優太を超えた。
それが何故か嬉しくて、虚しくて、また涙が出た。それを見た優太が焦っているのを見ると少し笑えてきて笑うと、泣いたり笑ったり忙しい奴だな、とデコを指で弾かれる。痛い、痛みが分かるって、幸せなんだな。この世界に来て色んな事を知って、色んなことを学んだ。
ドンッ!と大きい瓦礫が愛華達の真隣に落ちた事で今置かれている状況を思い出した。ゆっくりしている場合でもなかった。崩壊し始めるこの兵器はとうとう自分達が座っている所まで迫っていた。残された時間はあまりないだろう。ヒギリたちは何をしているのだろうか。
振り向いてみるとひたすら本を捲りながら円陣を描く三人が見えた。ヒギリの支指示に従って描かれるそれは相当大きいものだ。

「おい、何やってんだよ!早くここから出ようぜ」

少し焦るように早足になっている優太を足を引きずりながら追う。そこで不自然に浮く懐中時計が秒針を刻んでいることに気づく。ポツンと浮く時計はその場には不慣れで目立つ。その視線に気づいたのか、シュガテールが下を俯きながら、兄さんは死んだのね。と呟く。嘘をついてもどうにもならない、覚悟を決めて、うん、と正直に首を縦に振るとそう、と淡々と答える。

「兄さんは決めた答えだから、私がどうのこうの言う立場でもないわ。後ろを向いてる場合じゃないもの」

それより早く手伝いなさいよ!と声を荒げシュッと石を地面に描きいれる。
もうすぐそこは崩落しているのに何をしているのか理解できない。
もういいでしょう、本をぽんっと閉じヒギリは浮かべた汗を服で拭う。
描かれた円陣は色々な模様が描かれていて見ただけじゃ何も分からない。
首を傾げているとヒギリが私達を見て真剣な顔つきでいいですか、と問いかける。
それにつられ自分の顔も強張る。

「優太さん、愛華さん。よく聞いて下さい。今この世界は時間が遡っている状態なんです。外を見れば分かる通りみるみる空いた穴が塞がってきていますよね。」

スカンも言っていた、時を戻した、という言葉。
ということは今までを巻き戻ししているような状況なのだろうか。
それとこれと何の関係があるのだろう。何か関係があるとすれば・・。
そこで愛華は気づいた。このまま遡れば何れこの世界に来た時まで戻る事になる。二重の声を聞いたあの何もない草原で優太と喧嘩をしていた事をまだ覚えている。

「このまま時を待てばお二人が飛び込んだ時空の裂け目が現れます。でもそれはただ待っているだけじゃ駄目なんですよ、だからコレをシュガテールさんとディアさんと協力してもらって描きました。
この円陣は時空の裂け目と同じ役割を果たします。 一定の時間が経つとこの線が光るようになり、転送できる仕組みです。」

前から薄々目をつけていて正解でした。
そう言って私達の背中を押すと円陣の中に入れる。
帰れる、ということなのだろうか。私達が飛び込んだものは時空の裂け目で、その瞬間は近づきつつある。
覚えていない、というより今まで記憶を消されていた感覚があったものが、今になって思い出して来た。ソフトを手にした時、世界が歪んで何か落ちるような感覚になったんだ。そう、暗闇の中。
そして気づけば知らない世界が広がっていた。みるみるうちに思い出す記憶に頭を少し支えると、ふとある事に気づく。

「それじゃ、これで皆とはお別れ・・なの」

そういうことになるだろう。
私達は元いた世界に帰るのだ。本来この世界にはいてはいけない存在なのだから。
そういうことに、なるのだろうな。
周りの音にかき消されるような小さな声で、ディアは呟く。どこかでまた会える、そんな気がしてならない。でも、こんな風に触れ合う機会があるとは考えにくかった。

「また、逢えるんだよ。ゲオルゲだってそう言ってた。俺達はまたどこかで再会する」

だから、それまで一時的なさよなら、だ。
そう優太は力強く答えヒギリの肩を叩く。
それに答えてパシっと手を叩きあうとお互い笑い合う。お別れじゃない、さようなら。心の中で何度もリピートしても涙は止まることがなかった。
だらしないわね、シャキッとしなさいよ!と言葉で喝を入れているシュガこそ、寧ろ私よりも泣いているじゃないか。
顔をぐちゃぐちゃにさせながら抱きしめ合うとあまりのお互いの顔の不細工さに笑った。こんな風に笑いあう事が出来るのも、当分ないのかと思うと、時が止まれだなんて事を考えてしまう。
その愛華の気持ちをお構いなしに進む秒針はさっきより早く周っているような気がした。今までその二人の事を温かく見守っていたディアはポケットからある物を取り出すと、愛華に差し出す。今までずっと温めてきたものだ。

「これを見れば、寂しいだなんて思うこともないだろう。私達の代わりだと思えばいい」

随分昔に、大切な人から貰ったものなんだ。
そう言って愛華の手に転がるのは、小さいながらも強い光を放つ、青い宝石だ。
手の中でキラキラ光り輝き、とても綺麗だ。
ありがとう、そう答えると少し照れるようにいいんだ、と目を反らされた。
それがおかしくてまた笑うとディアも笑い、それにつられてシュガテールも笑う。
なんだかんだで皆で笑いあったのは久しぶりかもしれない。
ヒギリがお元気で、と手を差し伸べてくる。
それに全力で握って答えると、愛華さん痛いですよと笑われた。
皆、相変わらずだ。

その瞬間円陣が輝き始める。
白く光り周りを照らすと二人だけその円陣に遮断された。自分の腕が透け始めている。

「時間みたいね。もうそろそろあんた達が来た時間と重なるわ」

懐中時計を見上げシュガテールが口を開くとこっちに向き直りありがとう、と口を動かす。
改めて言われると照れくさいし、お礼を言いたいのはこっちの方だ。
自分もありがとう、と口を動かすとシュガテールは頬笑み目を擦った。

「戻れるんだな。本当に、長い様で短かった。」

しみじみと、優太は答える。
そういえば優太とも出会って間もないような気がする、そうね、そうかもしれない。
最初はゲームの世界に来た、それだけで好奇心、というのがあって、信じていない所もあって。目的がなんなのか、自分達が置かれている状況が掴めてなくて、色々怒ってしまった事もあった。ぶつかりあったこともあった。
でもそれは全部今となっては微笑ましい思い出だ。一つ一つが無駄な事一つもなく、自分の中で吸収される。今までの出会いを、優太との出会いを、これからも大切にしていきたいな。
みるみるうちに消えていく身体を見まわしながら愛華は目を瞑る。その愛華の手を優太は優しく握り、ヒギリに合図する。あぁ、本当に消えるんだな。目を開けてしまったら、後悔するだろうから。戻りたくなくなっちゃうから。崩壊する城の中、ただその音だけを、耳だけをたてて。最後に聞こえたシュガの言葉と共に、そこで完全に私の意識は飛んだ。

「さようなら、愛華、優太」

消えていった二人を見守りそれと共に消えた円陣の後を指でなぞる。
時がまた進み始めた証拠に懐中時計は落下し、秒針を刻まなくなってしまった。
貼っていた兄さんと私の写真は破れて誰が誰なのか分からなくなってしまっていた。


「さて、私達もぼーっとしてる場合でもなさそうですよ」
すぐそこまで迫っている崖を面倒くさそに眺め、ヒギリはため息をつく。
幸せ逃げるわよ、そう言って落ちていた時計を拾うと、シュガテールはスカンが落ちて行った崖目がけて投げた。全てを捨て去るように、新しい人生を送るために。
綺麗に放物線を描き落ちて行った懐中時計はキラリと光っていた。
清々しい顔で手をぱんぱんと払うと、ヒギリとディアの方に向き直る。

「これからだな。これから、どうこの世界が変わっていくのか。」

見ものだな。そういって心底楽しそうにほほ笑むディアは昔の面影をまったく残してなどいなかった。崩れる地面を避けながら自分の手を引くと、降りられそうな所まで手を引かれる。

「ちょ、ちょっとディアさん、もしかして」
「さぁ、飛び降りるぞ!」
当たり前だろう、と言わんばかりにハットを深く被ると深く息を吸う。
ちょ、ちょっと?!と慌てて後ろを向くと、ヒギリが無駄のようですね、と首を振っていた。ディアも随分大胆になったものだと思いつつも顔から血の気が引く。
いつからこのお姉さんは愛華に似たのだろうか。
確かあの子も無茶ぶりをする子だった。
改めて高い所から見るこの世界は緑に囲まれた、美しい光景が広がっていた。

兄さんが愛した、この風景。この世界。
救ってくれた友人がいることに誇りを持ち、深呼吸をする。

「大丈夫だ、木で覆われている」

それに、いざとなったらポチがいるだろう、と獲物を狩るような目でポチを見つめる。
や、やめなさいよ!と後ろに隠しいーっと歯を出す。
むすっとするディアの顔が見ていて面白い。


「せーのっ!」


合図と共に浮かんだ身体は、踏みしめるものを失くしひたすら下へと落ちた。
楽しい、そう感じた。

どうやらあの二人には皆色々と感染させられていたらしい。
そんな自分に笑ってヒギリの手も掴む。あの二人が未来を作ってくれたのだから、私達がその道を歩かなきゃ。

足跡をつけなきゃ。そう叫ぶシュガテールの顔は、とても晴れやかだった。




「愛華―、ちょっと教科書貸してくんない?」
「良いけど、ちゃんと返してよ?」

当たり前だろーが!と教科書で頭を叩かれ、急いで教室のドアを閉める。
まったく騒がしい奴だ。
時計の針は五十分を指している。チャイムが鳴るまであと数秒なのだろう。
もっと余裕を持てよ、と一人で突っ込み頬杖をつく。
最近寒くなり始めた景色は、赤と黄色とで染められている。
この季節が、私は一番好きだったりする。
外の風景をぼーっと眺めていると先生に指摘され笑いを招く。
そんないつもと変わらない日々を、愛華は噛みしめる。

この世界に戻ってきてから丁度一カ月が過ぎた。
そして優太が転校生としてやってきたのは一カ月とちょっと前。
自分の腕にはめられていた時計は、まったく時を進んではいなかった。

恐らく私達があっちの世界に行っている間に、この世界の時は止まっていたのだろう。
その事に少しほっと胸を撫で下ろそうと手を動かすと、自由を奪うかのように優太が自分の手を握っていたのを今でも思い出し、時々一人で赤面する。
目を開けた時には、元々私達がいたおんぼろなゲーム屋は存在してなかったかのようになくなっていて、二人何もない平地に突っ立っている状態だった。
その後誰に聞いても、そんな店は見たことがない、と首を振られた。
どうやら見えていたのは私達だけだったらしい。

そして最近、少し面白い事が起こった。

「なぁなぁ、あの新作のゲーム知ってるか?」
「あぁ、昔廃盤になったゲームのリメイク版だろ?出てもないのにリメイクってのもあれだけど、かなり面白いらしいし気になってたんだよな」
「決まりだな、買い行こぉぜ!」


楽しそうに話す二人の学生と横断歩道ですれ違う。
相変わらず混んでいる横断歩道は、よそ見してただけでも人にぶつかってしまうほど狭く、暑い。
あっちの世界とは対照的に緑の少ないこの世界は、少し物足りなさを感じる。大画面で宣伝されているゲーム会社は、最近売れ始めた期待すべきメーカーらしい。どうやら昔発売したゲームをリメイクしたとか、なんとか。それが爆発的にヒットし、今やこの宣伝を見ない日はないくらいだ。
それを一緒に見ていた隣の男は呑気に欠伸をすると横断歩道を渡ってしまおうと歩を進める。それに合わせ、私も隣で歩を合わせる。

「・・ねぇ、買ってみない?あれ」

鞄の中身をまさぐりながら私はその男に話しかける。
丁度その男も鞄から何かを取り出していた所だった。
奇遇だな、そう笑う優太の片手に掲げられている黒い財布が目に入り、私は満足げにほほ笑む。思っていたことは一緒だったようだ。肩を並べ、未だ売れ切れ寸前の戦場を想像しながら足を進めた。

愛華の首から下がる青い宝石のついたネックレスが太陽の光を反射して眩しく光る。その愛華の行動と共に揺れる石は今日も眩しく光り輝いていた。





『また、会えたね』















NEW GAME?






















人気の無い、青々とした草原の山。
ゲームというそれが始まるまで、あと残り僅か。
モンスターが跋扈しない穏やかな世界を、無精髭の男は愛しそうに眺め目を細めた。

彼に記憶は無い。
以前何をしていたのか、自分の名前は何なのか、それすらも知らない。
しかし、それでも心は満たされていた。

肺いっぱいに空気を吸い、ゆるりと双眸を閉じた。
背後にいる存在に気づいても尚無防備に。


「・・・・・もういいのね?」

其れは優しく語りかけた。


「・・・・・ああ」



男は優しく、其れに応えた。





---END---