赤錆の羽根を打ち砕け 5 


人間は下劣な奴がたくさんだ。愛華や優太はただの特例にすぎない。そう、自分に言い聞かせる。
いや、もしかしたらこいつらも、心のどこかでは・・・。
曇る心を抑え愛華の方に向き直るとなぜかうつ向いている。震えているようだ。
完全に深夜テンションであったおっさんを張り倒して追い出したシュガテールはどうしたのよと問いかけるとねぇ!もう一回!といきなり身を乗り出してきた。

「・・・は?」
「今!名前で呼んだでしょ!!」

些細なことではあるが、今まで愛華はディアに名前を呼ばれた事がなかった。いつもお前、お前。
別に構わないが、少し寂しかった。ふとディアの口から紡がれた私の名前は普段呼ばれるより数倍嬉しかった。あんた馬鹿なの、と半目でシュガに言われても今は受け入れられた。
わ、悪いか。と少し戸惑うようにディアは頭を掻くと、全然!と愛華はディアの手を握る。
ヒィ!というディアの声は愛華の耳には恐らく届いていない。
やれやれ、とシュガテールは首を振った。

「なんかディアと距離が近づいた気がするよ!シュガもそう思うでしょ!?」
「いや、うん、そうね。それはいいんだけれど」

早くしないと気絶するわよ、とシュガテールはディアを指差す。目の前のディアは軽く泡を吹いていた。そこで愛華は初めてディアとの距離を把握した。確かディアは人間に触れられるのをあまり好まない。

「わぁぁあああ!?ごめんディア!」
「か、構わん。」
・・・が。とフラフラとした足取りでベッドにダイブする。ショッキングだったのか顔色が少し悪い。本当に駄目なんだな、と愛華は少し反省をした。言わんこっちゃないわ、とシュガが言うと真似するかのように隣のベッドに飛び込んだ。でもさ、と愛華は髪を解きながら呟く、

「ディアの人間嫌い、これから私達で直せたらいいね」
「・・・そうね」

大きなと欠伸をしながら愛華は目をこする。長いようで短い一日がまた、終わる。
おやすみなさーいとシュガテールが言うのを合図にそこに沈黙が流れた。
窓から覗く丸い月が、ディアの顔を照らす。人間嫌いが直る。そんなの不可能だ、と思う反面、もしかしたらと思う自分が其処に居た。
自分はどうしたいのか、最近分からなくなってきた。
規則正しい寝息を立てる二人を見つめながらディアは起こしていた身体を横にする。ずっと遠ざけていた過去が、見え隠れする。もうあんな経験、散々だ。ディアは歯を食いしばり目を閉じた。



「世話になったよ!ヒギリの姉さん」
「いつでもいらっしゃいな」

気づけばフライパンの音で起こされていた。
まるで私達のお母さんポジションに居るヒギリは朝から元気よくかんかんと頭に響く音を鳴らしながら寝室を周っていた。
どうやったらあんなに早起きできるものなのか。居間に行くと既にヒギリのお姉さんは足を組んで朝食を食べていた。
すげーと優太が言葉を漏らすと慣れですよ、慣れ、とヒギリに言われていた。
お姉さんの方は相当眠いのか時々首が上下に動いていたのは少し前の話だ。
あ、そうそうとお姉さんはポケットからなにか紙きれを私達に手渡した。

「なによ、コレ」
「サーカスパレードのチケット、私一応団員だから暇があれば見に来てよ」

そういえばヒギリのお姉さんに会ったのはドームの入り口だったのを思い出した。だからあんな所にいたのかと今更気づく。その紙きれはピエロの顔付きで、こっちにほほ笑んでいる。お姉さんのピエロ姿を少し見てみたいかもしれない。
「ありがとうございます!!私達もやるべきことをやったら絶対見に来ますね」

ね?とシュガに同意を求めるとえぇ、とシュガは首を縦に振った。やるべきことって?とお姉さんに問われ、あーとシュガーは少し困る仕草をし、忽然と表した建物を指差した。

「あそこに見える建物に少し用があるのよ。」

あそこ・・?といまいち把握できていないお姉さんにヒギリはハッと何か気づいたように顔をしかめた。それと同時にディアも顔をしかめ顎に手を乗せる。何かを考えるように俯く二人に優太は顔を傾けた。

「姉さん、ほら、あそこにドーンっと城みたいなものがあるだろ?アレだよ」

ゲオルゲがシュガテールの代わりにもう一回指差すとは?とヒギリのお姉さんは口を開いた。まるで何も見えないかのように、ひたすら首を動かしている。

「城?そんなの見えないけど」

やはり、とヒギリとディアは確信した。
姉さんには見えていない、途中で気づいてしまった。誰がどう見ても気づくあの大きい兵器は気づく。それに関わらず街の皆が騒がないのはおかしいと前から思っていた。
恐らく前に起きた地割れも気づいてないのだろう。それは根本的に、自分達にしか揺れは感じていない。有り得ない事だろうし、信じたくもないが。

「どういうことだ・・?俺達にしか見えないってことなのか?」
「兄さん・・」
一行が困惑を浮かべるなかヒギリは静かに姉とアイコンタクトを取る。
なにも触れてこない姉さんに感謝した。
こういう所で妙に勘が働く姉さんは昔から頼りになった。
早く行け、という姉さんの合図と共に急いだ方がよさそうですね、と言うとヒギリは先頭を切る。
不穏な空気が流れる中、楽しげに笑う子供の声がやたら耳に残った。

「・・・ふーん?見えないものが見えてるんだね、俺達」

ゲオルゲ一人だけがその空気の中でケラケラと笑う。面白いねぇ、と一人呟くと、何かを思い出したかのように口を開かなくなった。

「一体どうなってんのよ!」
シュガテールは顔をしかめずんずんと足を進む。
完全に兄さんを乗っ取った悪魔の計画はすでに終盤まで来ている。手遅れになる前に私たちがどうにかしないと。明らかに縮む兵器との距離に少し戸惑いを隠せないシュガテールは折れそうな心をなんとか支えポチを一撫でした。
その手は微かに震えている。あぁなんて情けないんだと苦笑すると愛華が無言で手を握ってきた。その温もりに、ホッとする。

「不思議なものね」

この前まで綺麗な青空を見せてくれた上空は今や変異してしまった。
夜になっても星すら見えない風景はまるでなにか箱に閉じ込められている感覚がした。いつになっても二つの月しか照らしてくれなくなったことすら、私達にしか見えないものだった。空という天井を見ていたシュガテールはポツリと呟く。

「なにがだ?」
「だってまだ私達出会ったばかりよ?なんていうのかしら、団結、なのかな。そんなものを感じるわ。」

ディアの問いかけにシュガテールはしみじみと答える。確かにそうかもしれない。
最初は一人ひとりが違う行動をしていたから纏まりなんてありもしなかった。お互いの事を知りあうとこうも違うんだ。それにシュガがそう思うように私達がここに飛んできたのも最近なんだ、と思うとちょっとは自分の定めも分かってきたのかなと思う。
でも未だに自分の使命が分からない。考えても、考えても、頭の回転は遅くなるいっぽうだった。そうだね、そうかもね。と曖昧に答えると渋るな、とディアに顔をしかめられてしまった。用は、さ。とゲオルゲが人差し指を立てる。

「俺達がこう、行動を共にしているのは運命、ってことだ。どうせどっかで会う事になっていた。それ以上でもそれ以下でもないってこっちゃ」
「おっさんはついてきた来ただけだろ?」

少し嫌みっぽくゲオルゲに向かって両手を掲げるとまったく少年はお堅いね、と笑っていた。
事実を言ったまでだが、正直ゲオルゲがいないと少し苦戦してた所があるのかなと考えると憎むにも憎めなくなってしまった。
いつのまにか一体なにを考えているのか分からないようなおじさんを信じている自分がいた。

「運命、ですか。」

ヒギリは呟く。最近ヒギリは手元の分厚い本をパラパラと捲りなにかを呟いている時間が増えた。前になにか協力すると言っても自分の問題ですから、と目の下に隈を作っていた。

グォォォオオ!

何処かで聞いたことのある聞きたくなかった方向が近づいてくるのが分かる。させるかと優太は構えるがどうやら狙いは自分ではないらしく一直線に愛華の方へと突き進んでいた。最近愛華も愛華で少し上の空の時間が増えた。シュガの声にも気づかずにずっと考え事をしている。一体皆してなんなんだ。優太は愛華を押しのけ化け物を切り倒す。

「おい愛華何よそ見してんだよ!」
「へ?え、あ、ごめん」

今の状況は何度目なのだろう。そして何度守られてきたのだろう。
また胸がズキズキする。この痛みがなんなのか分からなくて愛華は胸を押さえる。
こんな奴に守られるなんて情けない。最後のとどめを刺すとやるじゃねぇかと優太の手が宙を舞う。それに答えるように自分の手を浮かせるとパンっと乾いた音が響いた。
悩んでいないと言えば嘘になるけども不安があるといっても嘘になる。最近一人じゃないんだなぁ、思う事が多くなってきた。昔の自分に教えてあげたいくらいだ。

「おうおう、立派になったもんだなぁ、お前ら」
「最初は見てられなかったわよ」

武器の使い方も知りませんでしたもんね?とヒギリにとどめを刺され否定はできないけども少し恥ずかしい。そして今や普通に使いこなしている自分に驚く。
そういえばあの頃は違和感を隠せなかったな。自分の手のひらを見つめながらあぁ懐かしいと愛華はほほ笑む。隣の優太もあの時上からコレが落ちてきた時は痛かったよ、と剣を触っていた。その気持ち逞しくなった優太の横顔は傷が目立っていて、また胸がズキズキと痛む。
何かの病気にかかってしまったのだろうか。優太が愛華の視線に気づき、あぁと目線をその傷に向けるように上を向いた。

「んーもう消えないだろうし、前にも言ったけど気にしてないしさ、俺女じゃないから別に痕とか気にしないし、さ」
「それじゃ駄目なの!私のせいで、私のせいであんたは傷を・・!」
愛華のその先の言葉を遮るように、だから!と優太は声を荒げた。何事かと皆が振り向く中で気にせず優太は続ける。

「それも!・・・それも、お前のせいじゃなくて、俺の無力さからなんだから、お前が気を遣うもんじゃないんだよ」

な?と首を傾げる優太をまじまじと見る。相変わらず口の悪さは直らないけども。私の知っている優太は何処かに消えてしまったようだ、目の前でほほ笑んでいる男は本当に優太なのだろうか。あまりにもまじまじと見るもんだから、なんだよと優太は顔を少し赤らめ口を尖らせた。昔のあんたは消えたみたいだね、と口を開くと、うーんと優太は悩む仕草をし、こっちび向き直った。

「あえて言うなら、この傷が昔の俺なんだろうな。あ!そうだ」

優太はそう言うとヒギリの背中に収まっていたリュックからごそごそと何かを探し始めた。その反動でヒギリが揺れ、かなり迷惑そうだ。あぁ、あったあったと取り出して来たものははさみ。一体何をするのかと思いきや服の一部を切り始めた。

「え!?あんた何やってんのよ!」
ありえない!と頭を抱えるシュガテールを華麗に無視し優太はその切った服の一部を傷のあるデコに巻きつける。どうやら傷を隠す為に切ったらしい。その優太の発想に愛華は呆れを通り過ぎて驚きを隠せなかった。

「よし、と。はい、これで傷は見えなくなった!お前が気にすることはなんにもなくなった!」
どうだ、と言わんばかりに腰に手を当てこっちを向く優太は、額に布を巻き付け、いかにも勇者、といった格好だ。あまりの似合わなさに愛華は少し吹き出すと、あんたは凄いよと口を開く。優太は愛華の笑顔を見れればそれで良かった。ありがとう、とまともに愛華に言われたのは初めてかもしれない。少し踊る胸を押さえ再び結び目をきつく縛った。昔の自分を切り離すように。俺はもっと、強くならなければいけない。

「でもはさみかよ、男ならもっと格好良くその剣で切っちまってもよかったんじゃねぇ?」
「・・・。ほ、ほら、それで他の所が切れるよりマシだろ!!」

失態を隠すように優太はぶんぶんと手を振ると、やはりコイツは・・・。とディアが呟く。
何だよこの空気!文句あんのかよ、と口を尖らせると、ゲオルゲがごめんて、と口を開く。

「あ、でも今までの感動は全部ナシで」
「・・・お前らぁあ!」


「・・・・なんか、微笑ましいわね」
あの発想には呆れたけど?とため息交じりにシュガテールは呟く。その割には顔が楽しそうだ。ぐちぐちとヒギリに文句を言われている優太を横目にディアはあぁ、と腕を組む。
「人間は変われるものなのだな。全てが全て、同じ人間で・・・・・・、っ」

いきなり言葉を止めたかと思うとディアは自らの口に手を当てていた。
動揺を隠せていないその目は見開かれている。具合でも悪いのかと聞かれいいやと首を振る。
あたしは、またその人間達に騙されるというのか。人間を信じたその先は闇。
それはあたしが一番知っているハズなのに。
あたしはエルフで相手は人間、決して慣れ合うことはない。目を覚ますんだ。ディアはそう自分に言い聞かせ頭を振る。
決して愛華達が悪い訳ではない。
知ってても。分かっていても、あたしには無理だ。

「お前達人間は・・・いや、止めておこう。先に進むぞ」
ハットから覗く目は少し悲しげで、違う輝きを放っていた。ディナは何を思って口を止めたのか、愛華には分かりそうにもなかった。こういう時に限ってヒギリは考えている仕草をし、思いつめたように目を濁す。私には、どうにもできない。それがとても悔しかった。

「近くなってきたわね・・・アレ」
軽く見上げてシュガテールはその頭を俯かせる。手に持っている懐中時計は未だ秒進は進んでおらず、まるで時が止まってしまったかのように動かない。シュガとお兄さんの時が止まったままなのだと、愛華は思った。俯く少女はそこらへんの少女と何も変わらず、お兄さんを想う妹にすぎなかった。それでも強気に笑顔を振る舞うのは自分を隠す為だということに気付いたのはこの中で何番目だろうか。

「私、ちゃんと兄さんと話できるかな。兄さんは私の事思い出すのかな、私、私・・・」
フルフルと肩を振るわすシュガテールにいてもたってもいられないと駆け寄ろうとする優太を引きとめ、愛華は一歩前に出た。シュガテールの視線に合わせて、優しく。

「シュガが弱気になってどうすんの!お兄さんにあって話したい、助けたいって、シュガはそう言ったじゃない。だったら最後まで貫き通さないと!シュガは一人で行くわけじゃない、後ろには私達がいるんだから。」

えぇ、そうですね。そして私にも少し言わせて下さい。と珍しくヒギリがシュガテールの隣に立ち頭をわしゃわしゃと掻きまわす。突然の事にその場にいた皆も、なにより一番シュガテールが驚いていた。その空気に気付いたのかあっとシュガテールの頭に乗せていた手を離すと、どう慰めればいいか分からなくて、ですねと照れくさく笑った。
「あなたは少し、無理をする癖がある。というより、ここにいる方達は大抵そうなんですけども。」

ハァと一つため息をつくとチラッと私の事を見てまた視線をシュガテールの方に向き直す。それ、私も入ってるの。

「ずっと行動を共にしていれば自ずと分かるものですよ。少しは私達を頼ってくれませんか?なにも、いきなり消える事なんてありませんから。皆で貴方のお兄さんを助け出し皆で笑い合えれば、それでいいんじゃないでしょうか」
後半ずっと俯いて無言だったシュガテールはそうね、そうよね。と、何か吹っ切れたのかぱっと顔を上げて、そうよ、私はシュガテールよ。と胸を叩く。

「あの兄さんの妹が、こんな所でめげるわけにはいかないわよね。分かったわ。もう無理なんてしない。といっても私無理してるなんて思ってないけど?」

ニカッといつもの意地悪い笑みをして髪崩れちゃったじゃないの!とヒギリの肩をポチに殴らせる。綺麗にぶっ飛んだヒギリを見ながら良かった良かったと今まで黙って見ていたゲオルゲはうんうんと頷く。

「嬢ちゃんは深く考えすぎなんだって。その先を決めるのも嬢ちゃん次第なんだから、焦る必要なんてないんだぜ」

たまには良いこと言うだろ?と格好つければ、ちょっと前まで関心していた自分を殴りに行きたい衝動に駆られた。なんだかんだで応援してくれてると思っていいのかな、そう思うと自然に笑みが零れてきた。兄さん、私も人間の友達がいっぱいできたみたいだよ。今あの頃の兄さんに戻して見せるから。握っていた懐中時計を大切にしまうと行くわよ!と走りだした。止まる必要なんて、ないんだわ。


「おーい、お前ら早く行かないと置いてかれるぞあのペース!」

少し進んだ所で優太は後ろの方でただ茫然と立っているゲオルゲとディアに気づき足を止める。あー今行く今行くーとゲオルゲが手を振ったのを確認してまた前へと走り出した。それを確認したディアは生い茂った林を横目に口を開く。

「・・・お前、さっきから落ち着きがないように見えるが」
「んあ?バレてた?」
「ふん、そんなにそこに隠れている敵が気になるのか?」

ワザとその林の中で様子見をしている敵に聞こえるようにディアは声を張る。
足音が聞こえない辺り逃げ出していないらしい。
やけに自信があるな、なにか秘策でもあるのか。とディアは眉間に皺を寄せる。
あーやっぱし知ってたー?とどうでもよさそうに頭の後ろで腕を組むと歩き出した。

「なーんか少し見張られてる感があったから嫌だったんだわねー。さっさと出てくりゃいいのによ」

最後の言葉は完全に敵に向けての一言だ。
私でも分かるくらいコイツからは殺意が湧いている。こんなコイツは初めて見た。
それに少し違和感を感じる。今まで人型の敵には狙われていないはずが突然、しかも狙いは明らかに優太か愛華に向けられていた。
まさかばれたか・・?いや、そんなはずはない。なぜなら本人でも知らないから。
知っているのは・・いや止めておこう。余計な探索は時間の無駄だ。

「・・・ふん。いずれは殺られる運命だ。来ないのならばわざわざ出迎える必要もないだろう。」

遠くでまだかー!?と叫んでいる優太に向かって手を上げると速足でディアは後を追った。その後ろ姿を見てゲオルゲはフッと笑う。あぁ、終わりってあるんだね。はぁ、とわざとらしくため息をつくと、待ってくれよー!と皆の後を追った。


「もう、何してたの」

追いついた時の第一声が愛華のしかめっ面だった。すまんと謝るとディアだけは許すよ?と言うとゲオルゲの顔が青ざめていく。ポチの餌にされているゲオルゲの姿が簡単に浮かぶようになってきたのは色々と末期なのだろうか。その後ろでなにか見覚えのある風景が広がっているなと目を凝らすと、忘れもしない、そして一番自分の頭から離したい、忘れたい出来事がフラッシュバックしよろめいた。もう、散々だ。やめてくれ。この町を、私が覚えていない訳が無かった。

「お!丁度町じゃねーか!」

優太が後ろで気づいたのか少し嬉しそうに口を開く。ここはあんまり知らないですねとヒギリが考える素振りをする。それもそのはずだ。ここは目立たないうえ、あんなデカイ目的地がない限り通らない。人通りが少ない所だから、すっかり無くなっていると、いや寧ろ無くなってほしいと願っていたのかもしれない。

「・・・かつて、エルフと人間が力を合わせて造られたと言われている町。エルフが人間と他愛のない話をして、笑いあえた。そんな町だった。」

苦しそうに、斜めに俯きながらディアはポツリポツリと言葉を漏らす。ディアが言う、『エルフと人間が力を合わせて造られたと言われている町』は、活気があるわけでもなかった。今までの街は人が多く、建物が多い。それがこの町では正反対で、でも今までにはない生い茂った花畑や綺麗な緑色の植物など自然に溢れるのどかな町のようだ。
「だったって、どういうこと?」
「時が立つにつれ、人間の心は廃れていった。そしてエルフ、ハーフエルフ共々軽蔑し始めた。あたし達は何もしていないのに、ただ笑いあっていたかっただけなのに・・!」

後半のディアは最初の頃に戻ってしまった。
鋭く、人を寄せ付けないとでも言うような、あの鋭い目。
そうか、ここかディアの故郷なのか、と愛華は悟った。
あのいつでも落ち着きのあるディアが気性荒くしているのは珍しい。それほど人間は許されない傷を負わせてしまっていたのかと思うと心が痛くてしょうがなかった。
人間はなんて愚かで、汚く欲望に群がるのだろう。
「それが、お前さんの人間嫌いの理由か?」
確信をついたゲオルゲの一言に何も反応せず、ディアは歯を食いしばる。
少し間をあけて、それだけでしょうか?とヒギリはディアに問う。
それと同時にディアの耳がぴくっと動いた。

「どういう事なの?」
「お前らに話す事は何もない。・・・私はこの町が嫌いなんだ。用を済ませたら早く出てほしい」
何かを隠すかの様にシュガテールの言葉を遮った直後、正面から見知らぬ男が歩いてくるのが見える。
その顔をみてディアは顔色を変えて石のように固まっている。
目は見開かれたまま、何かを言いたげに口が震えている。

「嫌い、はないだろ。人外」
「貴様・・は・・っ!」

その男はいかにも汚い物を見るかのような蔑みの眼でディアに話しかける。
よっぽどその男が嫌いなのか手はわなわなと震えていつでも飛びこみそうな勢いだ。
ギリッと歯を食いしばる音が聞こえればやだなぁ、と男は口を開く。

「久しぶりなのに、貴様呼ばわりなの?俺。あーあ、悲しいねぇ?」
「誰なのよ、この汚らしい人」
鼻をワザと掴んでシッシと手を動かす仕草をしたシュガテールを男は視界に入れると、あれ?とシュガテールの耳を見つめる。ハーフエルフの特徴、尖がっても、丸い耳でもない、その耳を見てなるほど、と男はケタケタ笑う。

「君ハーフでしょ?うわー、ハーフの子に汚らしいって言われたら身も蓋もねーわ」
「なんですって・・・!?」

すっかり顔に血が上ってしまい顔が真っ赤なシュガテールをヒギリが後ろで必死に押さえる。
こんな所でポチに殴られて暴動を起こしても後から大変なのは目に見えている。それにしてもコイツは一体なんなんだ。馴れ馴れしく話しかけてきたと思えばハーフやらエルフやら。
同じ人間とは思えない。とシュガテールに噛まれる腕の痛みに耐えながら思考を巡らせる。これがディアが言っていた差別、というやつなのか。思っていたよりここの住民は下衆のようだ。

「ちょっとあんたさっきから聞いてればずいぶん偉い態度じゃないの?あんたディアのなんだってのよ」
「俺?やだなー、俺はただのディアちゃんのお友達にすぎないって。昔色々と、な?ディアちゃん」

あれ、俺なんか疑われてる?と鼻のかかる嫌みったらしい声を出し男は笑う。
その笑い方はまるで嘲笑うかのように、口をニヤリと曲げ、自分が主権だと言わんばかりに。ディアはフルフルと肩を震わせる。
「・・・去れ。」

は、何?と男が聞き返したのと同時にディアは今まで俯いていた顔を一気に上げる。
その反動でハットが宙を舞い静かに地面へと着地する。ディアの顔はすっかり頭に血が上っていて真っ赤だ。ディアの気迫に男はおっと、と後退するが、相変わらず口元は曲がっている。

「あたしの前から去れと言っているんだ!小汚いお前の顔なんぞ見ていて吐き気がする!」

ほう、と男はディアを見つめエルフの分際で生意気だな、と唾を吐いた。
この騒ぎを聞きつけたのか住民が寄ってくるがその大半は好奇心の目が多い。
この町は、いや、この世界はどうにかしてる。人間とは、こんなにも醜いものなのか。

「ハッ。昔よりは言い返すようになったんだな。昔なんかうわーん、もうやめてー!ばっかりだったもんなぁ!」
そう言って泣く振りを手でしながらなぁ?と後ろに問いかける。
クスクスと嘲笑いが零れる。ディアを傷つけた人間は一人じゃない、複数人だ。そう思うと今まで耐えてきたものが一気に優太に襲いかかる。
コイツらは狂ってる。人外を嫌う人外だ。気づけば足は動いていた。男の胸ぐらを掴むと優太は叫ぶように口を開く。

「おいお前いい加減にしろよ。過去のお前らに何があったかは知らねぇけどよ、これ以上言うとぶん殴るぞ」
最後は後ろの奴らに、今できる精一杯の睨みをきかせ優太は男を後ろに飛ばす。

「どけ!そこを動くな!!」
「おい!何の真似だよ!」

感情に呑まれ我を失ったディアは優太を押しのけ弓を構えた。全ての殺気の男にむけて。

「くっ・・・くっ・・、あたしを、あたしを怒らせたこと、後悔するんじゃないよ!!」
「・・おいおい、マジかよ!」

堪らずゲオルゲはディアを羽交い絞めし押さえつけた。

「ク・・・ッ、どけぇ!殺してやる、殺してやる!!」
いつも冷静さを欠かさないディアの我を失う所など初めて見た。
改めてそのトラウマの深さを感じ、愛華はやるせなさに涙ぐむしかなかった。

「姉ちゃん、トラウマってのは殺して済むものなのか?そんなんじゃ駄目だ、コイツらと一緒になっちまうぞ・・!」
「お前らに何が分かると言うんだ!結局一緒なんだな、お前らもコイツらと・・!」

そうディアが声を荒げた途端、ぱしん、と乾いた音が空間を支配した。
なにがおきたのか分からずディアは目を見開く。愛華は、その空間に静かに声を出す。
「・・ディア、いい加減にして。」
「・・・。」

音の正体は愛華がディアの頬をはたく音だった。その場所にディアは震える手を添える。
熱を帯びた頬は少し赤くなっていた。
涙ぐむどころかぐしゃぐしゃになってしまった彼女の顔は、ディアの目を捉えて離さない。

「・・・愛、華」
「ごめんね、ごめんね・・」

見開かれたお互いの目を見つめ合って数秒、ついに耐えきれなくなった愛華は諸手で顔を覆った。それを合図にゲオルゲはゆるりと拘束を解く。


愚かなのは、どちらなのか。



「はー・・」

恐い恐い、と言いながら崩れた服を直すと両手を掲げ、俺は理解できないよ、と男は演技臭く眉を八の字に曲げる。この男の行動全てに虫唾が走る。こんの!と手を出した瞬間ヒギリに止められた。気持ちが分からな気もないが、聞いている自分がやるせなかった。
くそっと拳で空気を切ると男はニヤリと笑う。

「お前らだって、ハーフエルフやエルフが気持ち悪いと思ったことがあんだろ。だって考えてみろよ。俺ら人間の倍以上生きるんだぜ?コイツら。終いには魔術とやらを使い始める危ない奴らだ。そんな人外、町なんかに置いておく訳にもいかないだろーが」

エルフは千年生きる、と聞いたことがある。
ヒギリは本をぺらぺらと捲りその情報を引っ張りだした。生まれながらのその奇才、その技術を必要としている人間がこの世にいることをこの方達は知らないのだろう。エルフと人間が共同で街づくりをしている地域は無い訳じゃない、ただ少ないだけなのだ。
人間とエルフは違いが大きすぎる。故に起きるすれ違いはやがて大きな物になり、ここまでのものに発展する場合もある。
だから追い出したんですか?と問いかけると、男はやだなぁ、と首を横に振る。

「おいおい、追い出したなんて人聞きの悪いこと言うなよ。俺らは正しい事をしたまでだ。エルフなんぞこの世にはいらない存在、価値なんて・・」
「もう、いい。止めろ」

男の言葉を遮りディナは地面に落ちたハットを拾い深く被る。
少し訪れた沈黙が異様に気持ち悪い。周りに聞こえるんじゃないかというくらいバクバクと言っている愛華の心臓は忙しなく動く。
思わず苦しくなって胸を押さえる。人間なのに、人間を嫌いになってしまいそうだ。こんなんだから、人種差別は減らず、寧ろこれからも増えていく。私一人じゃどうにもならない問題で自分の無力さに歯を食いしばる。
皆が無言なのは恐らく同じ考えなのだろう。あのゲオルゲですら無言で手を組んでいる。その顔は鋭く地面を向いている。少し後退したディナはやっぱりなと言葉を漏らす。その声は少し掠れて震えているように思えた。

「お前ら人間の言葉なんて聞きたくもない・・・っ!だから、だから人間は嫌いなんだ。欲望のままに動いて他の奴らなんて考えもしない。見て見ぬふりだ。あたしはそんなお前らが耐えられないからこの町を出た。人間に近付くことを避けた!・・・人間なんて」

忙しない鼓動の鳴りやまぬディアに追い打ちを掛けるように男は言葉を掛ける。
『そうだ、お前の味方なんていやしない』
その言葉が頭の中で渦を巻き視界が歪んだ。
おかしい、あたしはこんなに弱いわけがない。今までずっと一人で生きてきたんだ。
頼るなんて言葉を知らない、いや、知らなくて良かった。知っててもどうせそんな相手なんていやしない。何故なら自分は嫌われる人種、エルフだからだ。
そんな事は分かりきっている。分かり切っている事なのに、いざそれを知ってしまうと心にくるものがあった。もう戻れないよと叫ぶ自分がそこにいた。
ディアの心臓は悲鳴を上げていた。限界だ、そう伝えるかのように。あたしは頑張れる、頑張るしか術はないのだ。なのにどうして、何故こんなに悲しいのだろう。悲しい、久しぶりに抱いた感情だ。悲しいとはなんだったか。おかしい、視界が、目の前の愛華が歪んでいく一方だ。

「違う!!」

優太の声で自分は泣いている事に気がついた。あぁ、だから視界が歪んでいたのか。
おもしろいな、あたしでも泣く事ができるんだな。優太は今にも壊れそうなディアの肩を揺さぶりながら言葉を並べ続ける。何故か、ディアが目の前にいるのに消えそうで恐かった。

「ディア、今までの俺達を見ろ!俺達は今までお前を軽蔑した目で見たことがあるか!?」

それに続けと皆が声を出す。愛華はディアの手を黙って握りしめる。
一人じゃないと、この温もりで伝わればいい。
今自分ができることはこれくらいしかないけれど、きっと、きっと伝わると信じてる。愛華はその膜が張った目を見つめる。

「エルフでもなんでもさ、生きている事に変わりなんてないよ。私達は息をして、ここに立っている。エルフも人間も変わりなんてないじゃない。今までだってこれからだってディアは私達の仲間、そうでしょ?」
「はっきし言って、醜いよ、お前ら」

愛華は首を傾げると手を離した。ぶらん、と下がった腕に不安を覚える。
ゲオルゲが皆の前に立ち、その男に、寧ろそこにいた『観客』共々に言葉を浴びさせる。
そのどすの聞いた声に男は怯む。
今までの勝ち誇った顔は見るも無残な事になっていた。






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