赤錆の羽根を打ち砕け 7 


いつも遠くから眺めていたからあまり実感が湧かなかったのもあるし、まさかここまでの規模だとは思っていなかったのもあった。恐らくここから突入するのであろう前で愛華は開いた口が塞がらなかった。あまりにも迫力がありすぎて言葉を失う。
兵器、と聞かされたものは一見ただのお城に違いなかった。大きさの違いがあるだけで。
今からこの中に侵入して兄さんを助ける。兄さんとの久しぶりの再会に心を揺さぶられる思いと不安でシュガテールは手が震えていた。
自分のしてきた行動は、間違いじゃないと思いたい。証明したい。
兄さんの為にも、今までついてきてくれた皆の為にも。

「・・・でかいのな」

ポツリとゲオルゲが呟く。
さっきまでのテンションはどこにいったのか、少し呆気にとられているのか遠い目をしている。
まさかここまでだとは思いませんでしたよ、とヒギリは周りの様子を伺い、人がぎりぎり通れそうな隙間を覗き込む。この隙間はポチが見つけてくれた。
正面から入ろうとしていたディナは解せんと腕を組んでいる。ディナの時々出る強引さには少し驚かされた。あそこで優太がディナを引っ張っていなければと考えると恐ろしい。

「ここにシュガの兄さんがいるんだな」
「えぇ、多分」

はっきりとした確信は持てないものの、いるとしたらここだろうという第六感が働いた。
兄さんは毎回この兵器を気にかけて、大事に保管してきたのだ。
それが地上に現れたという事は兄さんも必ずこの中にいる。シュガテールは一人頷いた。

「・・・長かったようで、短かったな。」

ディアが上を見上げ、言葉を洩らす。
シュガテールが兄さんを助けて、と言ってきたのは随分と最近の事のように覚えている。
優太を最初におんぶした時の感覚も、まだ残っているというのに。
もうすっかりと自分の腕と同化している武器はもう重さも感じなくなっていた。
それほどに長い間この世界にいるのだろうが、実感が湧かない。
当初はただ目的を果たすだけに動いていたのが、今では友人を助ける為に動いている。それが少し誇りのように感じた。過去の自分達を今を比べて笑い話に出来る程の仲になったんだと悟ると、自然に希望が見えてくる。
使い物にならないのだと、背に庇うと誓った優太の背は何かを得るたびに大きくなっていった。私の入る隙間なんてない、と言っているみたいで。寂しいと心が叫んでいるように最近胸がチクチクするのだ。この理由がなにかだなんて、形容する術を私は知らない。
分かったとしても私はそのなにかに否定するのだろう。優太と目が合い、うんと頷き合う。ここに、私達が求めているものがあるかもしれない。顔を引き締めると愛華は決心した。まずは目の前の事から。シュガのお兄さんを、助ける。

「それじゃ、とっとと片付けちまおうぜ」
ゲオルゲがいつもと変わらないようにニヒヒと笑う。
お前には緊張感がないのかとディアに怒られるも、寧ろそう堅くなってたら出来るものも出来なくなっちまうぜ?と頭の後ろで手を組んでいた。
まぁ、でも。と上を向いていた視線を降ろす。

「こういう団結感っていうの?嫌いじゃないぜ」

なんか終盤って感じで。
しみじみとそう呟くとシュガテールは今更なによと髪を払う。
異様な静けさが何か不穏な空気を生み出し、少し気味が悪い。肌を掠る生温かい空気が一層気分を害する。明らかに大きくなっていくひび割れは、この世界を壊すかのように、着々と広がっている。時間を潰している暇などもう残されていないようだ。

「行きましょう、もうすぐ宵がやってきます。・・黄昏は魔の本域です」

今まで様子を伺っていたヒギリはそう口を開くと皆に来いと手で合図する。何事にもばれない事にこしたことはない。皆ぎりぎりでやっと通ることの出来るその隙間は鉄の柵で塞がれていたのをディアの一蹴でこじ開けたものだ。少し錆びていたのもあって簡単に抜けた様に見えたが実際相当な力なんだなと少し優太は身震いした。こつんこつんと足音が反響する。どうやら排水溝のような役割を果たしているようだ。愛華はふと気になり疑問を投げかける。
「にしてもさ、なんでシュガの兄さんしかいないのにこんなに大きくする必要があったんだろう。兵器って言ったって、小さくてもその役割は出来ると思うんだけど」

愛華の声はこの空間によく響く。そういえばそうかもしれない。
一人にこの空間は少しどころか大分大きい。他に敵がいたとしても余るだろう。大きくしなければならない理由があったのだろうか。シュガはさっきから頭を押さえて思い出そうとしているものの何も分からない、と悔しそうに唇を噛むだけだった。
なんの真相も分からない。ただ会うことしか希望は残されていなかった。しばらく歩くとまた鉄の柵が見える。どうやらここから城の中に入れるらしい。

「恐らく大丈夫だと思うのですが」
「んなちまちまやってたって進まねぇぞ!ここは一発どかーんと」

ちょ、あんた!と言っているシュガの言葉も聞かずに言葉の通り派手な爆発音と共に鉄の柵はこじ開けられた。明らかに不自然な曲がり方と爆発音とで完全に位置がバレただろう。 ほんっとあんたって馬鹿ね!とぎゃいぎゃいやってるその口論も筒抜けだ。 落ち着いて下さいとヒギリは冷静に対応するが明らかに不利な状態になってしまったのは明らかだ。
「もうばれてしまったのなら仕方がないです。ここは臨機応変に。」

ここで突っ立ってても意味がない。
どうする、どうする・・。焦るヒギリの目線の先に透明な稼働機を見つけた。恐らくあれは上に上がる装置だろう。動かないよりは全然マシだ。それにディアも気づいたのか早速階段から下りてくる敵の大群を弓で裁きながら道を作る。
あー面倒くさいことになっちまった。
ゲオルゲはぼやきながらもディアと同じく道を開ける。

「ギ、ギギギ・・・!!」
「お前らとはココが違うんだよ」

苦痛に悶える化け物を見下しそう言いながら腕を人差し指でとんとんと叩く。
その指をゆるゆると頭部へと移動し

「ついでに此処も、な?」

こめかみに触れた。軽口を言える程余裕なのだろうが、でも何故かその様子がおかしかった。

「おい、遊びに来たわけじゃないと分かってそのような行動をとっているのか」
ディアが怒るのも無理はない。
ゲオルゲは敵の大群の中で無双をしているが体はこっちを向いていた。つまり敵に背中を向けて戦っているのだ。
ゲオルゲだからこそ出来る芸当だが、本人も時々つらそうに顔を歪ませる。
俺コイツらの目嫌いなんだよね、見てて吐き気して。と苦笑するゲオルゲは一気に敵を蹴散らすとこっちに向かって走ってくる。
私達を襲ってきた敵は人型のようで、機械のような動きをしていた。
感情をもつ人形のような、あの目は確かに見ていて気分のいいものではなかった。

「くそ、一体ここはどうなってるんだ」

一行に減らない敵に痺れを切らし、最後だったディアは稼働機に飛び乗ると急いで入口を閉める。半分まで入り込んでいた人間を弓でひと突きすると完全に入り口は仕舞った。どうやら勝手に動く辺り自動で上に上がるようになっているのだろう。改めて周りを見渡すとやけに白い壁でこの建物は覆われていた。何も模様のない、ただ白の世界。周りが見えるようになっているこの稼働機はまるで自分達が浮いている様な感覚に陥る。下に群がる人形を見てシュガは気分が悪いわ、と自らの体を腕で抱いた。ただひたすら上に上がると突然視界が真っ暗に遮られた。

「どっかの中にでも入ったのか?」

きょろきょろと見渡すも何分真っ暗で何も見えない。辛うじて見えるのはお互いの顔くらいだ。恐らく上に上がっているのだからお兄さんとの距離は近くなっているのだろう。それにしてもなんの力を求めているのだろうか。よく恨みからの復讐やら、自分自身の欲望、とか。今までやってきたゲームはそんな結末がどちらかというと多かった。でもシュガのお兄さんは、シュガが言うには違う様に思えた。なにかの研究をしてこの建物を作ったのだろうし、空の亀裂はこの世界を壊そうとしているかの様だった。まるで原理に逆らって外に出たがっているかのような。コンコンコン。突然何処かで音が聞こえ、その音の主を探すと、どうやらゲオルゲの様だった。コンコンコン。一定に刻まれる、ガラスを軽く叩く音。
「何やってんのよ」
うるさいわね、とシュガが言葉を荒げると同時に、限界を迎えた稼働機は全体を揺らし動きを止めた。
その振動で体のバランスを崩す。隣にいたヒギリは何かに気づいたかのようにそれは!とゲオルゲの行動を止めようと動いていたが、遅かった。そして開かれた扉の先には相変わらず白い世界が広がっていた。久しぶりの明るさに目を細める。
先頭だったディアが一歩前に出たその時、突然目の前に剣が突き刺さりディアは急いで後ろに下がる。突き刺さった剣はギラリと光沢を放っていて、刺されたらひとたまりもない。

「!?・・誰かいるのか」
静寂に包まれる白い空間にディアの声が響く。
おそるおそる前に進むとおっとと声が聞こえ一行は足を止める。どうやら上から聞こえるようだ。愛華は声の聞こえる方へと向くと同時に、その声の主は飛び上がりながら愛華目がけて落ちてくる。
ぎりぎり人と共に降りてくる刃を腕で防ぐと金属音がガキンと派手に響いた。

「君ら知らない顔だね。僕に倒されにでも来たの?」
おかしいな、確かに合図だったハズなんだけど。と意味の分からない言葉を並べていた目の前の男は、まぁいっか。とニヤリと口を曲げる。
その口は三日月状に開けられ、目と同じ形をしていた。
さっき群がっていた敵に似ている。
そう感じた時にはこっちに走りだして来ていた。意味の分からないまま優太がかちゃりと構えたその時、敵の行動が止まった。
一点を見つめてその三日月状の目を少し見開く。
何が起きたのだろうか。その目線をたどるとさっきからよく分からない行動をしていたゲオルゲが少し笑っている。明らかに、様子がおかしい。

「お前は・・!」
うろたえる敵の言葉を遮るようにふっと隣を風が通り抜けた。
一瞬にして移動したゲオルゲは敵の腹に槍を突き立てる。
飛び散る血しぶきがゲオルゲの顔に一層影を作った。先ほどとは打って変わり威圧なオーラを放っているゲオルゲはその敵の体から槍を引っこ抜くと愕然とする優太たちの方へと振り向きへらっと笑う。人形が電池を抜かれたように、ゴトっと落ちる音が響く。見開かれたその瞳は濁っていた。
ぼそぼそと呟いて少し顔の血を拭うと、ゲオルゲは先へと進む。

「さ、邪魔者は消えたし進もうぜ」
「待って下さい。」

一歩踏み出した状態でゲオルゲは足を止める。
やはり自分の考えは当たってしまうのか。ヒギリはギリっと奥歯を噛むと口を開く。
どうか間違っていてくれ、と願う。嫌な時に限って私の勘は当たってしまう。 そんな自分の運命に逆らおうとしても所詮足掻いては引き戻された。呼び止めてもこっちに振り向きもしないゲオルゲの背中を見つめ、ヒギリは続ける。

「・・・おかしい、そう思うようになったのは途中からでした。時間をかけてその疑問は膨れ上がり、そして貴方は」

途中で言葉を切り、ヒギリは固唾を飲む。意味が分からない。一体ヒギリはなんの話をしているのだろう、疑う?ゲオルゲは何かをやらかしたのだろうか?確かにうさんくさい行動を今まで何度も見てきたけれども、いざとなると頼りになるおじさん、と最近信じられるようになってきたのだ。それになんだかんだ言ってここまで協力して来てくれた。さっきから後ろを向いて顔を見せないけれど、ゲオルゲはそんな奴じゃないって、分かってるから。優太は瞬きするのも惜しいと目を見開きその光景をただただ黙って見ていた。

「先ほど稼働機でとった貴方の行動。アレは仲間同士の合図かなにかなのでしょう?」
確かゲオルゲはガラスにコンコンと自分の拳を当てていた。鼻歌を歌いながら。
それは歌に合わせて叩かれていたもので、ただのリズムを取る為故の行動なのだろうと一行は納得していた。いつも自由奔放だったゲオルゲは特にここでは緊張感なくしていたから、気に留めてはいなかった。あぁ、またいつものか、と。ヒギリを除いては。
なんのことだ?とこっちを一瞬見やりゲオルゲは首を傾げる。
アレは仲間同士の合図・・・?まさかと頭に浮かんだ考えを消すように愛華は強く頭を振った。そんなハズはない。ならば何故ここまで付いて来たんだ。ヒギリは何か勘違いをしているのだろう。少し気が動転しているのかな。無理もない、こんな状況で冷静になれと言うほうがおかしいのだ。
それを忠実に守れるのはディアくらいだろう。
ディアは今壁に背中を預け一人目を閉じている。まるで何もかも知っていると言わんばかりに。

「・・・何言ってんの。どういうことよ?」
今までの空気に耐えられなかったのか、ヒギリの声しか響いていなかった真っ白な空間に、シュガテールが少し笑いながらゲオルゲに問いかける。
彼女も今の状況の意味が分からないのだろう。一歩ゲオルゲに近付こうと足を浮かせるのをヒギリがシュガテールの前に手を出し止めた。当のゲオルゲは困ったと言わんばかりに首の辺りを掻いていたものの、今は下を俯いて表情は掴めない。微かに聞こえる、笑い声。

「ゲオルゲ・・・?」

優太の声が聞こえたのか否やゲオルゲは突然笑い出した。背中を反らせるほどに
まるでその姿は狂人と形容できるものだった。
そしていきなり笑い声が止むとゲオルゲはこちらを一瞥した。
今までとは訳が違う威圧なオーラ、鋭い目。つい先ほどゲオルゲ本人が嫌いだと言っていた奴らと同じ真紅の眼は何を映しているのかも分からない。そしてまたクククと嘲笑うと、さっきまで生きていた、ゲオルゲが切り捨てたもはや塊と化している人間とも言い難い人形を足で転がす。

「コイツも、黙って鍵を開けて散ればよかったのにな。間抜けな様さ」

転がすのに飽きたのかゲオルゲは最後に強い一撃を喰らわせる。グシャ、と鈍い音が空間に広がり愛華は口を押さえる。吐き気がおさまらない。ゲオルゲは顔を上げると除に愛華たちとの距離を縮める。それと同時にヒギリは後ろに下がるよう指示する。もう下がれる有余は差ほどなかった。落ちたら、確実に死ぬ。目の前にいる人間は私達が前まで話していたゲオルゲなのだろうか。いままで発していた胡散臭いオーラは跡形もなく消え、残るのは異様なまでのプレッシャー。コツコツと歩くその姿は無心のようにただ一点に集中していた。ヒギリはうろたえずに言葉を並べる。

「今までのは全部」
「“世界を救う勇者ごっこ”は面白いか?俺はすっごい楽しかったぜ?」

ヒギリの言葉を聞かんとしてゲオルゲは口を開く。ハハハと笑いながら更に距離を縮められる。

「端からお前らに協力する気なんて更々ないんだよ。お前らをぶっ潰す為にスカンから命令されてな。長かったぜ・・・お前たちを壊したくて壊したくて・・・・」

嘘だと言いたげな蒼白な面々を見つめ、そう、その顔だ・・・。と歓喜に震える。
俺は、ずっとずっとずっとこの瞬間を待ち望んでいた。

その変わりように皆唖然とするしかなかった。今までのゲオルゲは跡形もなく消え去り残るのは狂気に変わった男だった。その顔だ、言葉に出ないんだろう?木端微塵に壊したくなるよ。
そう呟き一定の距離を縮めていたが、ふと足が止まった。

「・・・スカンか」
「スカン・・!兄さんの名前・・!」

涙ぐみながらシュガテールがいち早くその名前に反応した。予想は当たってしまった。かなり前から疑ってはいた、ゲオルゲの行動。時々愛華達を見る目つきは獣のような目だった。でもそうしたら何故あの二人に優しい所があったのだろうと何回も悩まされ続けた。それも、演技だった。という事なのだろうか。人間である二人は今混乱しているのだろう。目の前の男に殺すと言われ、そしてまだ真の事実を知らないのだ。言っていない私達が悪いのは、悟ってはいるが。もう一人の方に顔を向けると丁度こちらを見ていてこくりと頷く。驚くのだろう。この一行が何かしらで繋がっていた、と打ち明けたら。

「本当はここで人間を壊しちゃいたいんだけど、生憎お兄さんが御待ちでね。」

そう言って愛華と優太をチラリと見るとハッと鼻で笑い踵を返す。何か、何か言わなくちゃ。でもなんで、口が開かない。足が動かない。痙攣して言うことを聞かない。いつの間にか目の前にゲオルゲは消えそこは前と変わらない静寂で包まれていた。今更どっと恐怖が襲いかかりそこにがくんと項垂れる。あれはゲオルゲで、ゲオルゲは敵で、ゲオルゲは裏切った・・?意味が分からないよ。頭が混乱して何も考えられない。もう私、何を信じたらいいか分からない。隣の優太はさっきからピクともせずに突っ立っている。手元にあるハズのの剣は床に虚しく落ちていた。こつんこつんと足音が聞こえる。今までその状況を黙って見ていたディアはヒギリに近付く。時は、来たようだ。

「ねぇヒギリ、私意味が分からないよ?ゲオルゲはどこに行ったの?ヒギリはさっきから何を言ってるの?」

縋るようにシュガテールはヒギリに問う。苦しそうに顔を歪めるヒギリを見てゲオルゲは、ゲオルゲは・・?とシュガテールは問い続ける。その肩をディアが抱くと悟ったように口を閉じた。なにもない、無の表情。
少女は頭の整理をするだけで精一杯だった。あぁ、自分は間違ってしまったのだろうか。ヒギリは不安に駆られながらも決心したかのように二人の方に顔を向ける。今にも崩れてしまいそうな二人の表情は、見ていて辛い。

「今から全てをお話します。これは・・本来では初めに言えば良かったものなのでしょう」

貴方達と出会った時に。とヒギリは目を伏せる。私達“選ばれた物”はその使命を果たさなければならない。この世界へと故意で飛ばされた二人に。そしてあれっきり俯いて表情を読み取れないシュガテールが全てを握っているということを。

「私達が、愛華さん達を呼んだんです。この世界へと。強い意思を持つ二人の人間。それがこの世界へと繋がる鍵となった。」
「!?」
ヒギリの口から出た言葉に愛華と優太は耳を疑った。今、なんて。ヒギリは最初から私達がここの住民じゃないと気づいていた。いやそれ以前にヒギリ達が私達を呼んだんだ。この状況で冗談を言っているような感じはない。シュガテールがえ?と愛華の顔を見つめる。苦しそうに顔を歪め視線を反らすと、嘘、でしょ?と言葉を途切れ途切れに体をよろめかせ、ディアはそれを無言で支えた。

「・・・どういう意味だよ、ヒギリ。」
こんな状態で、俺達はヒギリに呼ばれた、と言われても正直納得できないし、意味が分からない。何故俺達が選ばれ、そして目的は一体なんなのか。聞きたい事は山積みで急かすように優太は早口に問う。そうですよね、順を追って話しましょうかとヒギリは顔色が悪くなっていくシュガテールの方へと向く。

「貴方が私達を呼び、そして私達は使命を思い出した。貴方が不安を感じたあの日から私達は貴方を守る為に存在し続ける。」

ディアは最初思いだせなかったみたいですが、とディアの方を見やるとゴホンと咳払いをし、まさかこんな小さい娘だとは思わなくてな、と誤魔化した。私がヒギリ達を呼んだというのか。どういうことなのだろう。私はあの時がヒギリやディア、愛華に優太と初めて出会った時で、顔なんて知るハズも無かった。それに愛華と優太に関してはこの世界に呼んだ、と言っていた。愛華達はここの人じゃない?なら何処から来たの?
ふと、そこでシュガテールはずっと霧がかかっていた兄さんの言葉を思い出した。兄さんは確か『愚かな人間共も滅べば良いんだ』と言っていた。
そう、人間界だ。ずっと思いだせそうで、思いだせなかった言葉。もしかしてこの二人は・・・。

「人間界の人、なのね」

悟ったように、静かに言うと優太はつっと言葉を洩らす。4人が拒否しない限り私の判断は合っていたのだろう。
簡単な話、この世界は人間界で言う“ゲーム”というもので、私達はそのゲームというものに出てくるものキャラクターというものなのだ。
例えると大きな絵本に私達が描かれていて、それを眺めているのが愛華や優太、人間界の人達。
ゲームの世界というのは、地図で表された所しか存在しない。
おまけにその世界は一定のフラグが訪れると振り出しに戻り、本当の意味の終わりは無い。
言うなればエンドレス。それは極当り前であるはずのこと。
ゲームの住人はその世界観しか知らない。それが普通なのだ。寧ろ、知っていたら大変なことになる。漏れてはいけない情報だった。
まさかこんな所で昔兄さんから貰ったおとぎ話の本の内容が役にたつなんて思わなかった。
そのおとぎ話の主人公とまるっきり同じ状況に立たされているのだ、信じがたい、けれど兄さんはもしかしたら全て分かっていてあの本を渡してくれたのかもしれない。
今まで疑心暗鬼でいたシュガテールは確信を持つ。そして悟った。

もう、戻れないのだと。そのおとぎ話の主人公はこう言っていた。

「一人は寂しい、だから、寂しくないように、友達が欲しい」

目を閉じ、一言一言噛みしめるように呟く。最終的にその主人公はその魔法の言葉と共に人間界からたくさんの友達を呼び出しては遊んで、楽しい生活をして過ごした。確かそのような話だったような気がする。まるで、思うようなことが自分だった。そうか、そういう事なのか。

「貴方は孤独に不安を感じ、私達を呼んだ。この世界では私とディアさんを。そして人間界では愛華さんと優太さんを。私達は選ばれた。シュガテールさんはお気づきになられてないようですが、やはり王は、愛してやまない妹君に力を託していたようです。」

そういってヒギリはシュガテールの膨らみのあるポケットを指差す。
その中から出てくるのはシュガテールがいつも大事に持ち歩いている懐中時計だ。
両手で大事そうに持ち、開けるとパカっと音と共に懐かしい写真が出てくる。
前の、穏やかな顔の兄さん。兄さんはこの懐中時計に力を込めていたのか。
そういえば、兄さんは心配性だった。何に関しても問いかけて、大丈夫と答えてもいや一応、とあれこれ持たされた記憶があった。私の不安に答えてくれたのは、この懐中時計だったのだ。
全ての原因は自分にあったのだ、と今更気づいた自分に罪悪感を覚え、シュガテールは何もかもを消してしまいたい衝動に駆られた。皆を無意識のうちに巻きこんでいた。謝って済むような問題ではなかった。
そんな瞬間でさえ、愛華の態度は寸分とも普段とは変わらずに。

「私達はシュガの力でここまで飛んできたんだね。それに・・・」

やっと状況をのみ込めたのかそういう事かと頷く。臨機応変にできる自分に少し驚いた。
なにもかもはシュガの心の叫びと、お兄さんのメッセージからだった。
その終焉がお前たちの答えになる。
最初確かに聞こえた二重の声の正体が、やっと分かった。
そして自分達の目的、ただ選ばれたんじゃなくて、ここまで来たのは運命だったのだ。
やっと繋がって来たような気がする。気がするだけでなにも解決していなのだけれども。
優太は何となく今の状況を理解したのか、眉間に皺を寄せている。

「シュガテールが気にする事じゃない、あたし達が勝手についていくと決めたんだ。」

シュガテールの様子がおかしいことに気づき、ディアは声を掛ける。
そうだろう?と問われれば愛華は全力で首を縦に振る。目的以前にほっとけなかった。人種が違っても、住む世界が違っても、心はいつでも同じ時を刻んでいて、共有していた。
辛いのなら支え合う、それは人として当たり前の行動で、ここまで来たのは巻き込まれたとか、そんな事を思ったことは一度もなかった。私達が独断で決めたのだ。それは優太も。優太が先に言ったんじゃないかな、助けようって。
昔の記憶に思考を巡らせながら優太を見やるとさっきまでゲオルゲが立っていたハズの床を一点に見つめていた。少し自分より背の高い優太は、近くにいると気持ち見げる様に見なければ表情は分からない。だが、ここでも分かるくらい困惑を顔に浮かべていた。愛華の視線に気づいたのか一瞬目が合うが、すぐ反らされてしまった。
シュガの事は、気にならないわけじゃない。
今まで一緒に旅をしてきて、色んな事を教えてくれたりして。
自分よりかなり年下なのにやけにしっかりしちゃって、大人っぽい所が何故か憎めない。
兄さんを救いたい。そう思い始めた時にはもう足は動いていたいう。
前は衝動で物事を決めてしまう所があったけれど、今は大分直ったのだろうか。
自分では良く分からないものだ。でも、なぜかゲオルゲのことが頭から離れてくれない。ほっておいて良いような問題じゃないような気がするのだ。愛華ほどに勘が鋭いわけでもないが、しばらく旅を続けていくうちに自ずと分かってくるものがあった。
しばらく動かない自分を疑問に思ったのだろう。愛華がこっちに視線を送っているのが分かる。右の頬が、熱い。

「ゲオルゲは、どうなってるんだ。」

それは誰でも思っていることだろう。突然なんも前触れもなく簡単に裏切っていき、そして自分らを殺す、と。あの声が隅っこにこびり付いて離れない。
いや、どこかでまだ希望を捨て切ってきないのかもしれない。あのゲオルゲが、自分を強くしてくれた、信じていたゲオルゲが俺達を裏切るなんて、そんなハズがない。そう思わざるをえない。
なんだかんだでずっと守ってくれていたゲオルゲは自分にとっていつのまにか頼れる存在で、何より尊敬できる存在だと最近気づいたばかりなのに。
絶望感と喪失感に苛まれそれは「ただの自分の勘違いだったんだな」と上の空で呟く。
そのことなんですが・・・。とヒギリは少し言葉を濁すと、今まで黙っている事が多かったディアが口を開く。

「異変に、気づくのが遅かった。私とコイツは顔を見たことはなくとも存在を認識しあっていた。選ばれた瞬間から分かっていたんだ。なら、アイツの存在も知っているハズだった。選ばれた者なら。・・・だが」

ヒギリを見ながら並べていた言葉は途中で切られた。
そう、選ばれた瞬間こそハッキリと覚えてはいないものの、この状況が一人じゃない、ということは分かっていた。 何もが分からなかった。何故自分がが選ばれ、なんの目的を果たせばいいのか。
探るようについてきたこの旅は、結果目的なんてどうでもいいという考えで落ち着いた。
恐らくこの状況が定めで、自分にとっての運命なのだと思うが、これでもいい。
会えてよかった。そんな存在が出来ただけで十分だったし、救える命があるのならば助けるだけだ。ただ、誤算があった。

「でも、ゲオルゲは知らなかった・・?」

愛華に問われ、あぁ、と頷いてディアはハットを深く被り直した。
ヒギリもディアもゲオルゲに会った時は眉間に皺を寄せていたと愛華は思い出す。
偶然だと思っていたけども今までのことは全て運命で決められていて、その定めに反するようにゲオルゲは私達の前に現れた。
そこから歯車はおかしくなった。うまく噛みあわなくなってしまったのだ。
それに、とディアは続ける。

「何度か敵に追われていたことがあってな。そのどれもがお前達を狙っていた。それはあたし達が守るからいいんだ、だが何故かいつもゲオルゲや一緒にいた私を狙われはしなかった。ターゲットが違うにしても、邪魔者は排除すべきだろう。だが一番近い位置にいるにも関わらず狙ってこない。それが何故だか分かるか?」

まさか、シュガテールは口を開き手で隠す。ゲオルゲとさっき襲ってきた敵が仲間だというのならば、その追ってきた敵もゲオルゲの仲間だったと考えるのが妥当だろう。それだとゲオルゲを狙う意味なんてないし、逆にディアに関しては狙っても対処に困るだろう。ゲオルゲが敵を倒す形になってしまう。それじゃぁ共食いと一緒だ。といっても、本人は自分と敵を一緒にはしていなかった様な気もするのだが。
最初からゲオルゲは、愛華さん達を狙って近づいた・・・?ヒギリは頭で巡らせる推測を整理するため頭に手を添える。
理由が不十分すぎるのだ。一緒に居たはずなのに、何もゲオルゲの事が分からない。
ゲオルゲはそれも計算に入れていたのだろうか。無駄に綴られた文字に嫌気がさす。

「なんでなの?なんでゲオルゲは私達を狙って・・?あれはなにもかも、演技だったっていうの!?」

ヒステリック気味に愛華が叫べばシュガテールが冷静に口を開ける。
もう何もかも悟ってしまったかのようなその目はハッキリとは分からないものの、考えていることは手にとるように分かってしまった。

「邪魔なのよ、人間が。私があんたたちを呼んで、兄さんを助けようとここまで来た。でも兄さんからしたら余計な御世話だったって事よ。ゲオルゲは言ってたわ、スカンが呼んでるって。兄さんとゲオルゲは最初から私の知らない所で繋がっていたのよ。私の話を聞いてほくそ笑っていたんだわ!絶対そうよ、そうに違いない・・っ!」

頭を抱えシュガテールはしゃがみ込む。その肩は震えている。
やっぱり、もう駄目だわ。
そう呟き何もかも諦めたかのように目は遠くを見つめていた。カラン、と虚しく懐中時計が手を滑り落ちる。
静かに開くそれは時を刻んでなどいなかった。もう無理なのか。
そう呟いた優太の言葉がやけに静寂した空間に響く。
ディアが目を伏せた時だった。
今までペラペラと本を捲っていたヒギリの手が止まり、皆を見据える。
その静かなクローロンの双眸は憤怒に染まっていた。

「・・・いい加減にしてください。なにもかも諦めたその終末は醜いだけです。やりもしないで目の前の事にそう目を反らしてもなにも変わることなんてない。ただ滅びるだけですよ。それを黙ってみているほど、貴方達はなにも考えられない頭をお持ちなんですか。私だって人間だ、恐くないわけじゃない。でも何もしないで滅びる世界を見る方が何倍も恐い。誰だって思う事は同じなんです。」

珍しく、いや初めてみた怒りで声を荒げるヒギリは、バンっと持っていた本を勢いよく閉じ、一度目を閉じると、いつも通りの穏やかな表情に戻った。
諦めちゃ、駄目なんです。そう言って手を差しのべてきた。
ヒギリは逃げようとしていた自分を怒ってくれたのだ。それは自分だけじゃない、ここにいる皆に。
そう、よね。愛華はそう呟く。まだ私達は何もしていないし、全てを理解したわけじゃない。
それにここで終わってしまったら私達は目的を果たせない。最後までやり通すのが私のモットーなんだ。ここで諦めてたまるか。
シュガのためにも。この世界の為にも。
優太はヒギリの手を握り、愛華はディアと共に立ち上がる。
全ての決着を、そして真実を求めるために。目指すは、自分が求めていた答えのその先だ。
今までずっとしゃがみこんでいたシュガテールは頼りなく立ちあがる。
未だ一歩踏み出すごとに震える姿を見てヒギリはその小さな体を抱きしめた。

「ひ、ヒギリ?」

「私がいますから。私が貴方の傍にいます。」

ずっと。そういって一層強く抱きしめるとシュガテールは肩を震わせた。
人の温もりを最後に感じたのはいつだったろうか。
外面的には温かくても心はいつも冷たかった。
凍ったように、あの頃からまったく温もりを感じられなくなってしまっていた。
それに今気づいたなんておかしな話よね。笑っているつもりなのに、今私は笑っているのに、なぜか上手く、笑えない。おかしいな、なんで私泣いているのだろう。
人前で泣くなんて、情けない。

「ヒギリは、居なくならない?」
「えぇ、ずっと」

確かめるようにその背中をぎゅっと一瞬掴んだかと思うと、バッと突き飛ばされる。なに気易く触れてんのよ!!と赤面で叫ぶ辺りが可愛いなぁと愛華はほほ笑む。
濡れた頬を見てしまえば罵声はもはや説得力皆無である。
私が諦めたら誰が兄さんを助けるのよ。そうよ、今まで私は何を思っていたのだろう。
それにここまで皆を連れまわしてしまったのは、私が原因だったみたいだ。
無意識のうちにとはいえ、全ては私が処理しなければならない。
もしも、の場合でも。自分にしか、出来ないことなのだから。

「おふたりさーん?もう行くぞー?」

おーいとわざと遠くにいるかのように手をかざし優太は笑いながらヒギリとシュガテールを呼んだ。
シュガはどうやら吹っ切れたようだ。
少し照れ笑いしながら今行きます、と言うヒギリには少し驚いた。
今日で色々な表情を見たような気がする。
昔よりも喜怒哀楽が出るようになったなぁ、と一人思いにふけっていると行くぞ、と優太に手を引かれた。
あぁ、もう全てが終わろうとしてるんだ。今まで歩いてきた道のりに、足跡は果たしてついているのだろうか。
私がここに確かにいたという、証拠。
ゲオルゲにも伝えなきゃいけないことがたくさんある。
聞きたいこともたくさんある。
ゲオルゲにも、ゲオルゲなりの何かがあったハズだ。
それじゃなきゃ納得がいかない。
あの笑顔は、なんだったのか。
恐らくこの先にいるであろう階段を上がっていく。螺旋状に続く階段は、今にも消えてしまいそいうに、透明だ。
その時ドカンと大きな爆発音が愛華の鼓膜を揺らすと同時に、城自体が大きく揺れている。必死に手すりに掴まる中窓から見えた外は大変な事態になっていた。

「な、なにあれ!?」

まるで、画面が崩れているようだ。ブロックのように、空が剥がれ落ちてきている。
ドンドン、と次々に発射される爆発物はどうやらこの建物からの様だ。
このままだとこの世界は壊滅してしまうというのに、何をしたいのか理解できない。気持ち階段を上がるスピードも上がる。世界を壊されたら、とんでもない。
最後の一歩を踏み出した愛華は足を止める。行く手に立ちはだかる人影。その人物はニヤリと笑う。何を映しだしているのかわからない、眼。
5人を射抜く真紅の眼差し。揺れが収まったかと思うと背中の剣を抜きだしこっちに向けてくる。



「しぶとい奴らだな」
「ゲオルゲ・・・」

ハッと鼻で笑うとその剣を手放し腕を組んだ。どうやら今は襲ってくる気配はない。主人に手放された剣は重力に逆らいふわふわと宙を舞う。
恐らくこの先に、シュガの兄がいるのだろう。
優太が一歩前に出るとそれに合わせてゲオルゲも動く。この先には通さないと言わんばかりに。

「・・・どういうことだ」
「・・・時間稼ぎだ。まぁ、俺がお前達をここで壊せば、済む話。」

さぁ、遊ぼうぜ。
そう言って比べられないほどの殺気を放ち、ゲオルゲは剣を構える。
同時に5人も構えるが本心はやはり戦いたくない。愛華は悔しそうに唇を噛み、状況を整理しようとしても頭が回ってくれない。
このままいくと、ゲオルゲとやり合うだけだ。生き残るのは、ゲオルゲか私達。
こんなところでくたばるわけにもいかないけれども、ゲオルゲを倒して行くわけにもいかなかった。何故なら、目の前にいるのは、あのちゃらんぽらんで空気が読めなくて変態おやじだけど、それでも助けてくれた、あのゲオルゲだから。
優太達の思考を読んだゲオルゲは口端を吊り上げ、組んでいた腕を解いた。

「迷いは自らを愚かにし、醜い物とする。」
俺にとっては好都合、だ。
そう言って剣から発した気迫が愛華を襲う。それを庇おうと優太が前に出て剣で防ぐが、それでも耐えられないほどの威力に顔を顰めた。
共に戦っていた時のゲオルゲより明らかに強い。いや、ゲオルゲは力を押さえていたんだ。それにしたって消耗が激しいあの技を簡単に出来るわけがない。
気づける瞬間は、沢山あったというのに。あの時ならば、彼を救えたかもしれないのに。
その隙を狙ってシュガテールがポチと背後に周るが瞬間にしてその背後に周り込み切りつける。シュガテールの悲鳴が痛々しく空間に響く。

「どうしてだ!ゲオルゲはなんで・・!」
「どうして・・?」

首を傾げこちらを遠い目で見つめたゲオルゲは、一瞬動きを止める。
その隙に狙いを定めて愛華は足を入れるも逆にみぞおちに拳を入れられてしまった。
容赦なし、か。そうディアは呟く。
苦しさに悶えなだらも必死に愛華は目を開ける。こんなに苦しいだなんて思わなかった。痛い、そう思いながら隣を見るとヒギリがシュガテールを治癒していた。
明らかにあっちの方が重傷だ。ふらつきながらも立ち、気合を入れるかのように両頬を叩く。
私がこんなんじゃいけない。役立たずだなんて洒落にならないじゃないか。
でも、容易にゲオルゲには近づけない。さっきみたいに蹴られるのがオチ、それに私がゲオルゲに傷をつけられるような気はしない。

「なぁゲオルゲ、なんかの冗談なんだろ?なぁ」

優太が声を荒げて問いかけるもゲオルゲは聞こえてないように標準をディアに合わせ、走りだす。
捕まるかと必死に逃げるもゲオルゲと違いディアは一向に弓を引こうとしない。
余裕がないんじゃない、弓を引く勇気があたしには無いだけだ。
もしこのたった弓一本でも、急所に刺されば簡単にあの世行きだ。
今の状況で引いても当たる気はしないが、もし万が一の事があったら、と思うと手が震えてしまう。
人間に本気になってどうするんだ、と葛藤しながらも剣から放たれる波動をぎりぎりで避ける。
なにか手はないのか。
そう額に汗を浮かべた時だった。優太がゲオルゲに近付く様にゆっくり歩を進めているのが背後で見えた。
残念だが今ゲオルゲを止められる気はしなかった。
近づくな、そう叫ぼうと口を開けようとするディアより先に優太は剣を構え、走りだしていた。

「くっ、間に合わない・・!」

手でゲオルゲの動きを防ごうとするもその手は空を切った。
瞬時に振り向き剣を振りかざしたその先にはいるはずの優太を押しのけた愛華が立っていた。

「―――――あ・・・い・・・」
「ッ・・・!!」
「よく間に合ったな、褒めてやるぜ」


驚きを隠せず目を丸くする優太の先には鮮明な赤い液体。飛び交うそれは自らの頬を染めた。
それと同時に落ちる音。唸り声。何が起きたのかいまいち分からずに下を向くと広がる血に染まっていた愛華が倒れていた。
意味が、分からない。
それを当たり前のように見下すゲオルゲが剣から滴る血を濁った眼で見つめている。
その光景が、視界が、滲む。

「愛華さん!?」

泡食って走りだすヒギリに放とうとしていた派を自分の剣で防ぎ、喉が枯れる勢いで叫ぶ。
こんな光景見たくないし、望んでない。俺の手で守らなきゃいけないのに、傷つけてしまった。
しかもそれは目の前の人間が、ゲオルゲが。自分への悔しさと憎さで目の前が歪む。
訳も分からず剣を振り回したが簡単に避けられてしまいバランスを崩す。
なんて情けないんだろう。地に手をつきながらも顔を上げゲオルゲの様子を伺う。見えなくとも感じる殺意は一層自分を弱く見せた。
かつて弱さを見せ、強くなりたいのだと、そう打ち明けた筈のその男がが目の前で自分を殺そうとしている。
それが虚しくて虚しくてしかたがなかった。
しかしこのままやられては愛華に怒られてしまう。必ず愛華は後で何やってんのよ、と叱ってくれるのだろうから。
折れない、愛華のあんな顔は、もう見たくは無いから。
今の自分に負けるわけにはいかない。

「俺が、俺がここでやらなきゃいけないんだ!」

足に力を入れ立ち上がり優太はこれでもかというほどにゲオルゲに突っ込んだ。
ゲオルゲの刃をかわし、一瞬の隙に彼の胸ぐらを掴んで顔を近づけ自分の声が届くように、聞き逃されないように、と。
抵抗を見せないこの男に、今まで思っていた事全てをぶつけるように優太は次々と言葉を並べる。
しかしその死んで濁った目は、自分ではなく宙を見つめていた。

「何でお前は俺らを助けたりしたんだよ、何でお前は俺に強くなって欲しいって願ったんだよ!あの時少なくともお前は俺を殺そうだとか思ってなかっただろ?正気に戻れよゲオルゲ・・!」

思っていたこと全てを吐きだすと突き飛ばすかのように手を離す。頼りなくグラッと揺れたゲオルゲの体はバランスを保とうと一歩、一歩と後ろに下がる。
その動きが止まった時、突然頭を抱え項垂れ始めた。
時々聞こえる俺は、俺はという悲痛な呟きに応えるようにひたすら叫ぶ。願いを込めて。

「お前はゲオルゲだ!俺を強くしてくれた、あの胡散臭くて、おじさん臭い、ゲオルゲなんだよ!」

頭を抱えていた手を離すとゲオルゲは剣を振りかざす。それと同時に起きる振動は地割れを起こし簡単に地面を裂ける。キリがない!とディアが叫び弓を引く音が聞こえた。ゲオルゲをなるべく傷つけずに、願わくば救いたかったのだが、手遅れだったようだ。悔しそうに目を閉じ、唇を噛む締めることしかできなかった。
我を失い暴れるゲオルゲは、何故かどこか悲しげに見えた。さっきまで落ちていたシュガテールがもう無理ね、と銃を構える。それに合わせ自分も狙いを定めるように集中する。自分の存在を証明するかのように、その姿は哀れにも思えた。しかしなかなか定まらないうちにいつの間にか距離は縮まって狂気じみた目で見下される。丁度頭ひとつ分身長が高いゲオルゲはハッと鼻で笑い、真上に剣を振りかざす。

「知ったこっちゃねぇよ」
「ゲオルゲ!?」

一瞬ゲオルゲのいつもの口調が聞こえたかと思うと剣が素早く降りてくる。
必死に受け止めながらもゲオルゲの動きを止める。遂にゲオルゲが戻ってきたのだろうか。いや、もしかしたら本当にいつものゲオルゲなのかもしれない。
動きを止めていたその隙を狙ってディアが弓を放つ。正確に飛ばされたそれはゲオルゲにたどり着くも空いていた片手ではじかれてしまった。しかし。

その瞬間無防備になり、シュガテールの攻撃に気づかなかったのだ。

「覚悟しろよ―――ポチぃ!!!」
「何だとっ・・」

ポチの背後からの突進をまともに喰らったゲオルゲは呻きながら体を反らす。
そのまま重力に従って落ちていく体を支えるべく剣を地面に刺し、身体の奥からせり上がるものを吐きだす。
口から零れ落ちる液体は赤というよりはどす黒かった。
今だ。そう直感で閃き渾身の一撃でゲオルゲの頬を殴る。吹き飛んでいくゲオルゲと共に反動で優太もその上に傾れ込む様に倒れた。
その死んだ目は虚空を泳ぎ目が合うことはない。

「なんでだよ・・!お前ふざけてるのか!?」


涙ぐみながらも必死に訴える優太を見向きもせずにゲオルゲは双眸を閉じる。
恐らくもう抗う気力なくなったと諦めたのだろう。
ゲオルゲはいたって穏やかな口調でやってくれ。と呟いた。
そんなゲオルゲを今見下す形になっている優太はそれを黙殺した。
俺にだって、分かんねぇんだよ。
ようやく紡ぎ出された悲痛な声はしかしゲオルゲの咽返る音でかき消された。

「なんで、なんでこうしなきゃならなかったんだよ・・!!」
「・・・運命とは、逆らえないものだ。それと同時に変えられないもの。絶対的な決定事項だった。未来を祈り乞うた所で、決まってしまったことは変えられない」

とどめを刺すなら今なのに。
そう力なく笑うのはいつものゲオルゲだった。どこか遠くを一点に見上げ口から垂れる液体を服で拭う。カラン、と頼りなく転がる剣が光を失い行き場を彷徨っていた。その剣を拾いゲオルゲの横に刺すと優太は呟いた。
「俺にお前を殺せると思うのか?冗談はやめてくれ。それと」

目を閉じたゲオルゲを見下ろすと静かに、未来は待つもんじゃない、作っていくもんだ。
そう言うと男はフッと笑って突然立ち上がった。いきなりの事に思考が停止してしまった優太は、ゲオルゲがとった行動の理解が最初できなかった。
ゲオルゲはゆるりと地面へと突き立てられた己が剣を掴み自分の首へと宛がい、そして。
・・・・・嫌な予感がする。決して、許してはいけない自体になってしまう。

「だからお前は、甘いんだよ」

その剣は高く振り上げられたかと思うと勢いよく血しぶきを放った。満遍なく降り注ぐゲオルゲの血は自分の服を赤く染める。
・・・どういうことだ。意味が、分からない。ゆっくりと崩れていくゲオルゲの下には黒い水たまりが出来ていた。
何かの夢を見ているのだろうか。
今まで、さっきまで笑って、喋ってたじゃんか。
なんで、目閉じてんだよ、なんも喋らないんだよ・・?なんでそんなに穏やかな表情なんだよ・・?
ひたすら、血を止めるかのように自分の手を当て、揺さぶる。無心に。だってゲオルゲは死んでなんか、ないじゃんか。いっつもピンピンで死ぬなんて言葉知らなそうな奴じゃんか。

もういいだろ。もう、十分だろ。演技なんて止めろよゲオルゲ。
その揺さぶる手はヒギリの手によって強く握られ、離せと言うように引き剥がされた。

「・・・もう」

ヒギリの伏せた顔を見て愛華は察したように口を手で押さえる。見ていられない、あまりにも無残な光景だった。さっきまで確かに心臓を動かしていたその物体と化してしまったゲオルゲは、自らの手で命を絶った。大切な仲間に裏切られて、死なせてしまった。
様々な事が起こりすぎてシュガテールは寧ろ冷静な目で見降ろすことしか出来なかった。
涙は、もう出てこない。目を閉じても尚強烈に瞼に残る朱色の所為で、寒気と震えが止まらなかった。





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